安倍首相の突然の退任表明で、7年8ヵ月続いた超長期政権がついに終わる。ここしばらく流れていた健康不安説が予想以上に深刻だったことを示す結末だが、そもそもこの噂の氾濫では、発信源が主に政権サイドにあり、「首相は働きすぎ」という程度に話を抑え込む“火消し”も入り混じっていて、発信者たちの意図がわかりにくかった。ある種「マッチポンプ的」あるいは「観測気球的」な思惑もありそうな不可解さが感じられたのだ。


 いま思えば、28日の退任表明に向けた対世間、もしくは対政界の“地ならし”のような流れだったのか。結果的に、国民の賛否が鋭く二分された政権の終わり方としては、少なくとも会見直後の現状では、任期中の評価をめぐる世論の激突より、むしろ重病への同情がそれを上回った観がある。コロナ対応に影が薄いことが批判され、低支持率が続いていた状況に鑑みると、「無念の辞任」ではあったにせよ、それなりに「ソフトランディング」を果たした「世論誘導の成功例」にも見える。


 また一部の識者の分析を見ていると、「選挙の顔」としてもはや安倍首相の神通力は望めなくなっていて、むしろ新体制のほうが戦いやすいという計算から、党内に首相辞任を引き留める雰囲気が薄かった、という指摘もある。「健康不安情報」の背景には、そういった思惑も絡み合っていたのかもしれない。


 早くも世の関心は「後継者レース」へと注がれている。1年後の総裁選までのつなぎとは言ってもこの世界、一寸先は闇。ワンポイントリリーフという前提で選ばれた人物が、手練手管で居座るかもしれない。個人的な考えでは、安倍長期政権のもたらした2大害悪は、国民世論をかつてなく分断・対立させたこと、そして霞が関からメディア業界に至るまで官邸への「忖度」が蔓延する状況をつくり上げたことだ。


 その根本には、国会答弁や会見で批判にほぼ一切答えない“木で鼻をくくった対応”の常態化がある。その視野にあるのは支持層だけ、批判派の納得を得ようとする気持ちは毛頭ない。事実やデータに基づく批判でも、強弁でこれを突っぱねるし、ときには政府内のデータさえ書き換え、隠蔽してしまう。歴代の自民党政権にはもう少し“肉声による答弁や対話の精神”があったのだが、安倍政権下ではそれがほぼ皆無だった。そこにこそ、政権の強さの源があったのだろうが、「分断と忖度」の2大害悪はあまりに大きかった。


 ここで気になるのは、後継者予想のなかで菅官房長官の名が有力候補に取り沙汰されることだ。菅氏には安倍首相のような強烈な右派イデオロギーはなさそうだが、「強弁」や「忖度」で一強を支える仕組みを束ねたのは、首相よりもむしろ菅氏だったように思える。次の政権が歴代の“普通の政権並み”に、対話姿勢を取り戻すことを望む身としては、「悪しき姿勢」を維持しそうな菅氏という選択には、正直気が重くなる。


 今週の文春・新潮はそれぞれにここに至る「健康不安説の内幕」を描いている。両誌とも安倍首相の病状の深刻化と、首相退陣に向けた政界の動きを詳報しているのは、さすがである。両記事の印象では、健康不安情報の氾濫は、仕組まれた世論誘導でなく、制御不能になった政治的思惑の暴走に思われる。なお、新潮のタイトルが『「安倍退陣」の瀬戸際』なのに対し、文春は『後継は菅「コロナ暫定政権」 安倍晋三 13年前の悪夢再び 潰瘍性大腸炎が再発した』と一歩踏み込んだ。果たしてこの予測は当たるのか。今後の動きが見逃せない。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。