22年11月、都内に拠点を置く中小のものづくり企業やスタートアップ企業(SMEs:Small and Medium Enterprises)など14社が、東京都の支援を受け世界最大級の医療機器見本市「MEDICA/COMPAMED」への出展を果たした。その一つであるジェリクル株式会社は、東京大学大学院工学系研究科の酒井崇匡教授が08年に開発したテトラゲルを利用した医薬品・医療機器の開発と社会実装を目的として18年に設立されたバイオベンチャーだ。
ゲルは、高分子が分散した液体状のゾルが流動性を失って固化したもの。3次元の高分子網目構造が封じ込めている液体が水の場合がハイドロゲルであり、主成分が液体であるにもかかわらず全体としては固体という特性がある。また、ハイドロゲルの構造は生体軟組織と類似性があり生体との親和性が期待されることから、バイオマテリアルとしての研究が進められてきたが、汎用製品はコンタクトレンズにとどまっているのが現状である。実用化の障壁はどこにあるのか、テトラゲルの技術で打開し得るのか、同社代表取締役CEOの増井公祐氏に聞いた。
増井公祐CEO
■新次元のゲルを開発
―テトラゲルは従来のゲルと何が違うのか。
我々は、いわば「ゲル3.0」の領域に踏み入れつつあると考えています。「ゲル1.0」はゼリーなど皆がイメージする単純なゲル。「ゲル2.0」は、高強度、伸張性、自己修復といった特性を付加したもの。世界中の研究者が開発してきたのですが、構造が不均一で生体に適用した時に何が起きるか予測しにくく、なかなか実用化には至りませんでした。例えば、1985~95年頃、網膜剥離手術に用いるバックル材(ゲル)を眼窩に入れ長期間留置した結果、膨張等の変質が認められ、視覚障害の合併症が生じて除去手術が必要になる事例が生じ、09年になって厚労省が日本眼科学会を通じて注意喚起したことがありました。こうした課題の解決が難しかったのは、一見単純そうなゲルの物理法則が未解明だったからです。
「ゲル3.0」はゲルの物理法則を完全に理解して、目的に合わせて分子設計し、物性をコントロールする段階のものです(図1)。この技術は、癒着防止材、止血材、眼科手術補助剤、神経再生材、腱再生材、人工腱、再生医療用足場材等への応用も期待されています。実際、生体への影響を抑えるために高分子の濃度を極限まで低減しつつ、注入後のゲル化遅延がなく、長期埋め込み可能な人工硝子体を世界で初めて開発したなどの実績があります。当社は「止血用ポリマーキット」「腱又は靭帯の治療用ゲル材料」についても21~22年に特許を出願しています。
■多様な応用領域
―酒井教授がゲルの基本となる物理法則を次々と解明しても、適用部位や分野に合わせて物性を制御する方法を考えていく必要があるのでは。
そのとおりです。現在は、眼科や外科を中心に多くのアドバイザー医師がいます。開発プロセスは現場の医師との協働作業であり、臨床ニーズがあるからといって単純に製品化できるわけではありません。まず「当社ならこういうゲルで解決できるのでは」という提案をさせていただき、プロトタイプを作って実験します。そのデータを見て「こうした要素も欲しい」という要望をフィードバックしてもらい、プロトタイプを作り直すという過程を繰り返します。したがって、元の技術は同じテトラゲルでも、どんどんカスタマイズされて独自の製品が誕生します(図2)。
―開発プロセスにおける役割分担は。
当社がプロトタイプを作製し、主に大学の研究者および医師が基礎研究と動物実験を行って、ある程度有効性がわかるデータを出し論文化します。そのデータパッケージを以て企業にアプローチし、提携先企業に非臨床試験、臨床試験と順次進めていただき、最終的に世の中に出していくのが基本スタイルです(図3)。また、資金調達に縛られず適正な利益を得る方針でビジネスを進めています。
酒井先生は当社のチーフサイエンスオフィサーであり、あくまで基礎物理学を追求する立場です。基礎の開拓があるからこそ応用があり、応用で必要になったことを基礎で確認する“両輪”のバランスが当社の開発の要です。医療現場、基礎科学者と企業の三者をつないで製品化するという点で、日本でいちばん医工連携をしているスタートアップかもしれないと自負しています。
―提携先となりうる医薬関連企業に伝えたいことは。
医薬業界ではゲルに対する諦めのような見方があるかもれませんが、それは「ゲル1.0」「ゲル2.0」のイメージです。物理法則に基づく我々の「ゲル3.0」は全く別物で、生体内でハイドロゲルを作り、病を治し、不要なハイドロゲルを壊す「ハイドロゲルのライフサイクル」を視野に入れて分子設計します。「Gel Medicine」つまりゲルを体内に注入するだけで病を治療する新しい医療を目指しており、多くの可能性を秘めています。ぜひ一度話を聞いていただき、共同研究や開発を通じて患者さんに役立つゲル製品を世に出していければと思います。
■海外展開は必須
―初出展したドイツの『MEDICA/COMPAMED 2022』で実感した日本との違いは。
いちばんの違いは「意思決定可能な場」であること。今回我々は気になる企業に事前にアポを取り、先方のブース訪問も積極的に行いました。そこで交換した名刺を見ると社長や副社長だったりして、意思決定権者自ら足を運んでいました。「後でこれについてもう一度話そう」などという機会もあり、実のあるディスカッションができました。日本の見本市では現場の担当者や営業マンがブースにいることが多く、挨拶の場のイメージでしたから新鮮でした。
―面談の中でゲルの新たな応用分野に関するヒントは得られたか。
今回は自分たちの技術を売り込むことが第一だったので、まだ具体的には見つかっていません。ただ、23年の年明けからは現地でつながった海外の方々と毎日のようにミーティングの予定が入っています。詳細なディスカッションになると何か見えてくるかもしれないと期待しています。
―今回の出展支援以外に公的支援を受けた経験や「今後こんな支援があれば」という提案は。
公的支援は積極的に活用しています。例えば20年に支援先として採択された特許庁の知財アクセラレーションプログラム(IPAS)は非常によい機会でした。知財専門家とビジネスの専門家のお二人(知財メンタリングチーム)と、知財をいかに取っていくか、それを使っていかにビジネスにしていくかなどを半年にわたってディスカッションさせていただき、本当にありがたかったです。今後も、今回のように海外展開を促進していただける機会があれば、とても嬉しいです。
―国内外で社会の高齢化が進む中、ニッチ領域でも展開できる医療機器産業に対する期待が高まっており、海外展開は個別の企業にとどまらないメリットがある。増井さんの意見は。
私見ですが、この市場を大きく展開していくためには二つのポイントがあると思います。一つは、ベンチャーと大企業がいかに協働してイノベーションを起こせるか。この30年日本の経済が発展していない状況を考えると、自前主義には限界があります。大企業がもっとオープンにスタートアップとつながっていくことが重要です。二つめは、海外展開への支援です。特に医療でいうと日本市場は世界の10分の1ですから、海外に出ていくしか市場を拡大する手法はない。この2軸によって今後の広がりが期待できるのではないでしょうか。
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東京大学大学院工学系研究科に、物理系から化学系までを束ね未来型医療を目指すバイオエンジニアリング専攻が設立されたのは06年のこと。骨軟骨再生医療に携わってきた鄭雄一教授(医学系研究科兼任)は、博士課程を終えたばかりの酒井氏に白羽の矢を立てた。この時期に、薬学部で再生医療やDDSを学んだ後、酒井・鄭研究室の一期生となったのが増井氏。多くの修了生が研究畑や化学メーカーに進む中、修了後は事業開発会社やITベンチャーで活躍。しかし、順風満帆な時期ばかりではなく、傷心で出かけた世界一周の旅でハードな体験をした後に帰国。科学的な発見や技術革新を通じて社会問題の解決を図るディープテックを志すようになった。情報収集を兼ねて酒井教授を訪ねて事業化の話が盛り上がったことをきっかけに会社設立に至りCEOを任されたという。
再生医療にしても、医学・薬学の背景を持つ医療者・研究者や企業は生物学的な視点で解決策を模索するが、物理学的なアプローチを加えることで新たな道が拓けるかもしれない。
[2022年12月20日取材]
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本島玲子(もとじまれいこ)
「自分の常識は他人の非常識(かもしれない)」を肝に銘じ、ムズカシイ専門分野の内容を整理して伝えることを旨とする。
医学・医療ライター、編集者。薬剤師、管理栄養士、臨床検査技師。