個々の人に合わせた医療を行う「テーラーメイド医療」(オーダーメイド医療)という言葉が使われるようになって久しいが、なかでも今、注目されているのが、がん細胞の遺伝子を解析して、その情報を基に治療を行う「プレシジョン・メディシン」(精密医療)だ。
2016年にNHKスペシャル「“がん治療革命”が始まった プレシジョン・メディシンの衝撃」で紹介されると、一気に知名度が上がった。
『がん治療革命の衝撃』は、番組の取材班が、放送では伝えきれなかった情報や、放送以降の最新情報を盛り込んでまとめた一冊である。
プレシジョン・メディシンが従来型のがん治療と大きく違うのは、〈がんを起こしている遺伝子によって、がんを分類する〉ところ。患者個人のがん細胞が遺伝子の解析が、時間の面でも費用の面でも、〈ここ数年の技術革新によって現実的なものになってきた〉こともプレシジョン・メディシンの普及を後押しする。
そこに狙ったターゲットに効く分子標的薬や、免疫細胞の攻撃力を高めることでがんを攻撃する免疫チェックポイント阻害剤といった治療薬が登場した。
がん治療を取り巻く環境が大きく変わり、治療薬が進化したことで、〈がん治療薬の選び方が、臓器別から遺伝子変異別へと変わりつつあるのだ〉。
患者側のメリットは大きい。遺伝子検査を受けることで、〈効果の判然としない薬を投与されることもなければ、無駄な副作用に苦しめられることもない。また、適合する薬さえみつかれば、かなり高い確率で効果が見込める〉。
〈プレシジョン・メディシンを普及させるためには、今後、遺伝子検査の結果を正確に読み解くことができる人材を育成していくことも大きな課題になってくる〉のは確かだろう。
■数十万件の論文を学習したワトソン
もっとも、がんの治療は高度化する一方だ。〈関係する論文は世界中で年間およそ十数万件も発表されていて、一日に数百の論文が新たに加わっている計算になる〉という。専門医ですら、主要論文を読むだけでも苦労しているはずだ。
そこで注目されるのが、人工知能。昨年、米IBMの人工知能「ワトソン」が、特殊な白血病の患者を、わずか10分ほどで見抜き、適切な治療法を助言したことが話題になった。
より高度化するがん治療を適切に行ううえで、〈人に比べてはるかに大量の論文を読み込み、学習することができる〉人工知能は今後、不可欠な存在となるだろう。〈ワトソンには、すでに数十万件以上の論文を学習させてあるという〉。
これからの課題としては、別の臓器で承認されている薬を使う「適応外使用」の問題がある。同じ遺伝子変異があれば、薬が効く可能性があるが、日本の制度化では〈自由診療で行うか、患者が臨床試験に参加するしかない〉。
患者からの申し出で未承認薬を使う「患者申出療養制度」もできたが、手続きが煩雑で〈病院、患者ともに多大な労力と時間を要する〉ため、利用が進んでいない。
薬の適応外使用には、副作用などのリスクもあるため、慎重に検討すべきテーマであるが、がんと遺伝子変異やプレシジョン・メディシンに関する知見がたまってきたり、適応外使用で先行する米国のノウハウが蓄積されれば、適応外使用のルール作りもしやすくなるだろう。
本書では触れられていないが、新たな薬の価格の設定方法も考慮する必要がありそうだ。効く人にしか投与しなければ、当然、数量は減る、しかし確実に効くなら高い評価をするという観点があってもよいはずだ。
一方、プレシジョン・メディシンに用いられる薬の中には、抗体医薬など製造コスト(設備のコスト)が高い医薬品も出てきている。多くの製薬会社があまり意識してこなかった製造コストの低減という視点も求められるだろう。
新たな時代を迎えたがん治療。近い将来、治療法から制度設計まで、旧来型のシステムを見直す必要に迫られそうである。(鎌)
<書籍データ>
NHKスペシャル班著(NHK出版新書 780円+税)