総選挙前の国会で「日報問題」が議論された。キッカケはフリージャーナリストが南スーダンに派遣されていた自衛隊の日報の開示を求めたことに「日報はない」と答えたことに始まる。


 国会で野党が森友学園問題、加計学園の獣医学部新設問題とともに、稲田朋美防衛相を追及するひとつとして南スーダンにPKOとして派遣されていた自衛隊の日報を開示するように要求した。が、防衛大臣、防衛省幹部は「日報はない。廃棄した」と答えた。最終的には日報が存在していたことがわかり、日報から、部隊のすぐ近くで戦闘が起こっていたことが報告されていた。 


 PKO派遣軍は“施設部隊”である。今日では施設部隊というが、旧帝国陸軍では“工兵隊”と呼んでいた。もっぱら戦闘地域で仮の橋を架けて戦車や車両が川を渡れるようにしたり、占拠した飛行場を修復して輸送機が離着陸できるようにしたりする部隊である。かつてイラクに派遣されたPKO部隊の隊長がテレビで有名になり、国会議員に出世しているが、決して戦闘部隊ではない。派遣先ではカンボジアに始まり、イラクや南スーダンでももっぱらブルドーザーで道路を整備しているのはたびたび報道されている通りだ。 


 この施設部隊の宿舎のそばで戦闘が行われたのにはさぞかし危険を感じただろう。だが、わが防衛大臣は「法律上は戦闘ではない」と答弁。たとえ世間の目には事実であっても、クロをシロと言いくるめる弁護士特有の答弁に終始した。この珍妙な答弁にも驚いたが、「日報を廃棄した」という答弁にはもっと驚いた。 


 アメリカでは大統領も、上下両院議員も海外に派遣されている部隊を、兵士を必ず「わが息子たち」と呼ぶ。米軍はアフガニスタン、イラク、シリア、ナイジェリアなど戦争地域、内紛地域に派遣している。当然、死傷者も多い。死者が出た場合、大統領自身が家族に電話して慰めている。だいいち、大統領選挙やその予備選などで候補は「ベトナム戦争に従軍していた」「私の息子はイラクに派遣されている」と、いかに国家のために働いているかを宣伝さえしている。当然、戦地や危険な地域に派遣されている部隊の日報も大事にされている。国防長官、国防総省幹部が「日報を破棄した」などと言おうものなら、上下両院で与党、野党から“愛国心がない”“非国民だ”などと攻撃されるし、国民からも批判が殺到し、辞任、解任に発展してしまうだろう。


 もちろん、日報問題で事務方トップの防衛事務次官と制服組の陸自の幕僚長が辞任。稲田防衛相は夏の内閣改造を待って退任した。


 だが、この日米の差は一体何なのだろう。わかるのは、今も旧帝国陸海軍の発想と同じだということだ。大本営は兵士をモノとしか見ていなかったが、戦後の民主国家でも、政治家、自衛隊の私服組、制服組のトップは今も自衛隊員をコマとしか見ていないということだ。憲法に自衛隊を明記するより先に、派遣部隊の自衛隊員を「わが息子たち、娘たち」と言えるように政治家、自衛隊トップの頭の中を改造するほうが先決だ。(常)