今週は週刊文春と新潮に“らしからぬ”読み物が載っていた。文春記事のタイトルは、『塩見孝也元赤軍派議長「私だけが知る“過激派”の素顔」』。11月14日、76歳で他界した“革命戦士”の追悼記事である。 


 執筆した本橋信宏氏は1956年生まれのノンフィクション作家。新左翼最盛期の“同時代の人”ではない。記事によれば、元議長と知り合ったのは95年、テリー伊藤氏が仕切る雑誌対談で構成を任された縁だったという。


 塩見氏が約20年間の獄中生活を終えたのは、ベルリンの壁が打ち壊された後。さしもの過激派リーダーも《シーラカンスのような存在》になっていた。以来、本橋氏は一定の距離感で、塩見氏と交流を重ねてゆく。雑誌企画のため、ふたりで歌舞伎町の風俗店に体当たりルポをしたり、かと思えばよど号ハイジャック犯や拉致被害者の問題で大真面目に議論したり。老革命家のペーソス溢れる晩年を、本橋氏は温かい筆致で描いている。


 新潮に載った記事は『没後50年「チェ・ゲバラ」と革命戦に散った日系人の壮絶人生』。こちらはこの秋公開された日本キューバ合作映画『エルネスト』に描かれた日系ボリビア2世・フレディ前村をめぐる記事である。執筆者は元共同通信記者のジャーナリスト伊高浩昭氏だ。 


 ボリビア山中でのゲリラ戦をゲバラとともに戦い、ゲバラ同様に処刑されたこの日系人について、私も十数年前に、現地の家族らを訪ね取材したことがある。その当時は家族もまだ、フレディのゲリラ人生の断片しか知らず、その後、家族自らがフレディの足跡を調べ上げ、映画の原作本を出版するに至っていた。 


 全体として保守的なタイプが目立つ南米への日本人移民だが、キューバ革命と青年期が重なった2世世代には、フレディのように左翼革命に身を投じた人たちも各国にいた。スペインの植民地だった時代から、半農奴のような庶民階層が一握りの富裕階層を支える構造の南米大陸では、それもまた自然なことだった。


 左翼活動家を、こうして淡々と描き出す文章は、最近めっきり見かけなくなっていただけに、両記事には新鮮さを覚えた。共産主義の失敗は歴史的に明らかだし、あまりに多くの犠牲者を出した社会実験であった。それでも近ごろのライターが、満足に時代背景を知らぬまま嘲るように書く文章には、ゲンナリさせられることが多かった。 


 冷戦期の革命家を後付けで“愚者”と斬り捨てるのは簡単である。実際のところ革命運動には、目も当てられぬ惨事が多々あった。だが当時、とくに途上国の独裁政権では、時にそれ以上の不正義や残虐行為がまかり通っていた。時代の回顧には、充分な知識の下、そういった全体的構図に目を配る姿勢が欠かせない。 


 さもなければ、明治維新にしたところで、狂信的攘夷主義者による秩序破壊、という話にされかねない。勤王の志士であれ、新選組であれ、それぞれ必然性をもって時代に登場した。冷戦期に対しても、そろそろそんな成熟した視線を注ぐ時期に来ていると思う。 


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。