官公庁などの仕事納めの28日、相撲協会の臨時理事会は貴乃花親方に対する理事解任処分などを決定した。年の瀬のワイドショー報道は、この話題一色になっている。  前日発売の週刊文春と新潮の関連報道が興味深い。文春は『貴乃花激白』、新潮も『「貴乃花」が本誌に激白!


 最凶の横綱「白鵬」の正体』とタイトルは瓜二つだ。それぞれに《遂に沈黙は破られた》《沈黙を貫いてきた貴乃花親方がついに語った》と、似たようなうたい文句が躍っている。 


 しかし、どちらの記事を見ても、貴乃花はごく短いコメントしかしていない。文春には「約束通り、貴ノ岩には地検による聴取終了後、協会の聴取にも応じさせた」と強調し、「このままで終わるつもりはありません」と、協会への対決姿勢をのぞかせた程度。新潮にも「未来に夢や希望を載せてこれから力士を志す者たちへ学べる角界であるべきだと考えています」という理想論を語るに留まっている。 


 それでも押し黙る貴乃花親方に口を開かせた、という点で、他メディアに先行する両誌の強みが発揮された、と見るべきだろう。貴乃花寄りの論陣を張る2誌に、親方本人も配慮した形だ。 


 両誌ともさすがに「スクープ」「単独インタビュー」とまで銘打ってはいない。きつい言い方をすれば、見出しありきの“羊頭狗肉的記事”。冒頭と結びには貴乃花の肉声があるものの、記事の大部分は“それ以外の要素”でつくられている。文春はさまざまな関係者の証言をつないだ騒動の最新事情、新潮のほうは貴乃花から直接話を聞いたという“有力タニマチの告白”が、現実には記事の大部分を占める。 


 それでも新潮には、1月の白鵬戦の前日、貴ノ岩の携帯に白鵬側近から着信が相次いで、「どうせ星の話だろう」と貴ノ岩がこれを無視したこと、鳥取での事件の夜、日馬富士が一時はアイスピックまで手にしたこと、事件の後、貴乃花に協会から「表ざたにしないでほしい」という働きかけがあったことなど、貴乃花が第三者に告げたという新事実が明かされている。 


 一連の経緯を振り返れば、ワイドショー報道が「巡業部長としての報告義務」云々の表面的議論に終始しているのに対し、新潮と文春はモンゴル勢と貴乃花の“八百長・ガチンコをめぐる対立”という角度から、一貫して問題を報じている。そこまでの言及をするためには、名誉棄損の訴訟にも耐え得る取材が必要で、力のないメディアは追随できないが、新潮と文春は果敢にその点を突いている。 


 ひとつだけ気になるのは、ネット上に散見される貴乃花親方の国粋的新興宗教への傾倒、という風説だ。もし事実なら、あまりに一方的な親方への肩入れは、違った意味のリスクを孕むことになる。ただそういったことを含め、酒の席で横綱が一力士を殴った、という単純な事件がここまで注目を集めるのは、怪しげな“事件の裏事情”への興味が尽きない話だからである。


  と、自分自身このテーマに触れながら言うのもおかしいが、この日馬富士・貴ノ岩事件を含め、舛添・前都知事の問題あたりに始まったワンテーマへの総攻撃報道はやはり異常極まりない。奇しくも2年前、政府・自民党による政治報道への“注文”が露骨になった時期からの現象である。権力に迫る報道には及び腰になり、“それ以外のターゲットの不祥事”は過剰なほどに吊し上げる。こういった昨今のメディアの不健全さは、来年も繰り返し指摘していきたい。 


………………………………………………………………

三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。