前回サプリメントの市場拡大を眺めながら、今後を考えたいと述べたが、実際にはサプリメント市場の規模を示す信頼できるデータはないと言っていい。むろん、信用に足るデータ調査会社のレポートなども公表されており、筆者はそれを信頼できないと言っているわけではない。サプリメント、あるいは健康食品、セラピー関連について、その範囲を巡ってはレポートによってかなり食い違いがあるためだ。それだけに、前回示したカテゴリー別に積算していく方法を考えることもできるが、かなりの事業者が「健康産業」として自らを位置づけ、言葉は適切でないかもしれないが、一定のカテゴリーで「単体的」供給者として見ることが難しいケースも多い。 


 また、最近起こった問題投資商法でもこれらの健康関連商品が包括的に、つまりごちゃ混ぜにして「パッケージ商品」として販売されていることもある。磁気ネックレス、痩身用下着やレギンスなどが、食品と一緒になっているのだ。当然、これらはマルチ商法的な営業戦略が併合しており、ある意味、冷静な購買者なら、手は出さない。しかし、こうした商法が、「代替医療」を供給商品の総称として表現していることには、やはり相応の注意が必要なのは当然だ。 


 そうした状況を勘案しながらだが、いくつかの一定の信頼性をおけるレポートを参考にすると、サプリメントの市場は2017年で1兆5000億円から3兆円程度とみられる。大きな幅があるのは、そうしたレポート自体が何を積み上げるかの違いによる。オーガニック系の食材まで「健康食品」に含めれば、その数字はまた変わる。そうなると、オーガニックの定義は何か、無農薬は入るのかなどといったテーマに拡大する。健康関連産業の拡大は、医療の大量消費に気付かずに過ごしてきたこの国の消費者の、本質的な健康信仰がベースにあるといえば言い過ぎかもしれないが、「保険医療」が「保健療養」に代わっていくだけの市場構造の転換の序章にすぎない。 


●予防か治療かが判然としない 


 サプリメントを例にとれば、その商品の消費者に伝達される情報、コンセプトに関してもかなりの違いがある。多くが生活習慣病をターゲットにしているが、例えば高血圧対応に関しても、現に血圧が高いと自覚している人を標的にしているケースもあれば、高血圧を予防するニュアンスが強めに出ているケースもある。血糖値に関してもそういう例が散見される。2000万人近くが糖尿病予備軍などといったキャッチを前面に出すのは予防的だろうが、「血糖値が高めと言われたら……」とすれば、限りなく治療手法としての印象付けが強まる。しかし、購買する多くの消費者がその違いを認識しているのかどうか、かなり強い疑問が残る。


  つまり、情報の非対称性は、供給側と需要側との「科学的根拠」の落差もあるが、供給側の購買層に対する曖昧な表現に伴う、商品が目的としているリターン(効果)に関する不正確さもある。そして、これが規制あるためにそれらを明確できないという言い逃れと、前回も指摘した「科学的根拠」を戦略化させている理由につながっている。 


 情報の非対称性を薄めていく方法はあるのだろうか。代替医療の研究者に共通している主張は、科学的根拠の収集、情報提供に関する標準化の必要だ。この考え方は、基本的に西洋医学をベースとする現在の保険収載医薬品、医療機器、医療用具、手術、治療技術に関する治験などエビデンスの収集と、安全性に関するビジランス方法を、代替医療にも適用しスタンダードにするという提案に過ぎない。わかりやすくいえば、サプリメントをはじめとする代替医療にもGMP、GCP、PMSを適用しろという考え方に近い。それは開発費用こそコストダウンするものの、製造・宣伝コストに跳ね返る。代替医療が何のために必要とされるかの一方の根拠(医療費の縮小)を薄弱化することになる。 


 サプリメントに限定すれば、すでに上記の一定の規制をクリアして、評価も定まっており、さらに情報提供・収集も標準化されている医薬品をサプリメント化するほうが話は早いということになる可能性も大きい。スイッチOTC薬化の流れの速さは、根底にそうした判断が常在化してきたと見ることができる。 


●規制下に置かれた商品のみの流通


 むろん多くの研究者は、代替医療がそうした規制を通じて高額化する可能性にほとんど言及している。そして、それを理由に代替医療が高額化することを正当化し、似非医薬品的なもの、あるいは似非代替医療が不当な収益を生み出すことに懸念も示している。だから標準化が必要なのだという話にまた戻るのだが、実は代替医療はこの循環からは逃れられない。強引な結論を導けば、消費者や患者の安全確保、あるいは資産確保のためには、一定のコスト高は避けられないということであり、安全安心な代替医療の提供は、やはり相応の規制下に置かれ、品質保証が確立した商品のみが流通するという構図を作らなければならないということになる。


  日本国民はこの連載のなかでも指摘したが、実は健康や疾患に関して大変ナーバスな民族性を持っている。1961年の国民皆保険制度が実施される前に、すでに大衆保健薬ブームが起きている。多少の異論があることは承知だが、1億人を超える国家規模で貧富の差が小さく、一定の平等感と公平感のある人々の健康への関心は、アメリカを除けば、他にはみられない大きな「消費」の塊を創造している。


  平均寿命が世界一ではなくなったというが、1億人超の先進国家規模でみれば、大変な長寿国を形成している。つまり、健康希求はこの国の国民性であり、よりよい治療に対するニーズは確立されたものなのだ。


  代替医療が例題として導くのは、多少の高額であっても、それは科学的根拠に裏打ちされたものであり、適正な品質保証体制、安全確保を人々は求め、それが担保されたら、その消費にあまり躊躇はないということかもしれない。それだからこそ、多くの研究者は代替医療の西洋医学的な規制スタンダードの適用を求める。 


 躊躇のなさ、は老人医療費無料化から始まった医療サービスに対する容易なアクセスが背中を押し、予防や治療に対する「消費」の構造を作り出した。今のところ、こうした国民の遺伝子は保険医療支出の増嵩の要因として、焦点化した。財政上の問題をクリアするには、この国民性をうまく利用するしか方法はないが、それを支えるのは医療の大量消費時代なのである。次回はこれまでの話をまとめてみたい。(幸)