まさに前代未聞の不祥事である。昨年9月に石川県小松市で行われたカヌーの日本選手権で、出場した鈴木康大選手がライバルの小松正治選手のペットボトルに筋肉増強剤「メタンジエノン」を混入した事件だ。混入を知らずに飲料を飲んだ小松選手はカヤックシングルで1位だったが、レース後のドーピング検査で陽性となり、失格。が、鈴木選手の自白で、名誉回復することができた。
鈴木選手が禁止薬物を混入した動機は「東京オリンピックに出場したい」ということだったと伝えられている。若手でメキメキ力をつけ、追い抜いて行った小松選手がドーピング検査で失格すれば、4人の代表枠に入れるという思いだったらしい。日本では販売されていない筋肉増強剤は海外でのレースのときに通信販売で購入したと伝えられている。もっとも、1人乗りカヤックのレースでは鈴木選手は8位で、小松選手が失格しても代表には選ばれない成績だった。
早速、マスコミ報道では「日本選手は強い倫理観とモラルの高さを持ち、オリンピックでドーピング違反者ゼロを記録し続けた常識が覆された」「日本の信用が崩れる事件」と大騒ぎである。
それにしても、筋肉増強剤は筋力を増強してレースに勝つために選手自身が飲むか、あるいは、コーチが選手に飲ませるというのが世界で起こっている事件だ。当然、禁止されている薬物だから、使用した選手やコーチはドーピング検査でバレないように苦心惨憺している。それなのに「ライバルを失格させて自分が代表になるためにライバルに飲ませた」という使い方には驚く。たぶん、世界中のドーピング検査官はわが耳、わが目を疑ったのではなかろうか。
どうしてこんなことが起こったのか。世界では近代オリンピック復活を提唱したクーベルタン男爵が「勝つことに意義がある」といったと伝えられている。ところが、日本ではどこでどうなったのか不明だが、クーベルタン男爵の言葉は「参加することに意義がある」ということになっている。
マスコミも、メダルを取れそうな選手、実際にメダルを取った選手をチヤホヤし、メダルを取れなかった選手には見向きもしないくせに、建て前として参加することに意義があると繰り返して教え続けた。結果、国民は「オリンピックに参加することに意義がある」ということが頭に沁みついてしまっている。あらゆる競技団体も選手も出場することが至上命題みたいになっていないだろうか。ライバルを失格させるための禁止薬物混入事件はいかにも日本的な事件である。
JADA(日本アンチドーピング機構)は薬物を混入した鈴木選手を8年間の資格停止処分にし、日本カヌー連盟は除名処分にしたが、クーベルタン男爵の言葉を「参加することに意義がある」と紹介した人物にも“罪”がある。(常)