なんとも扱いにくい国だとでも言うしかない。慰安婦問題だ。2015年に韓国との間で慰安婦問題について合意が結ばれたが、昨年5月に合意の再交渉を掲げて当選した文在寅大統領は合意について「被害当事者たちの意思を反映せず、問題を真に解決していない」と言いつつ、日本に「再交渉を求めない」という。そして韓国側が設立した「和解・癒し財団」に日本が拠出した10億円は使わず、韓国政府が同額を予算から支出し、活動を続けるとも言う。その一方、日本側に「被害者の名誉と尊厳の回復に向けた努力をしてくれることを期待する」と、暗に日本側に再交渉を要求するかのような言いぶりだ。


 韓国国内向けと、世界向けに国際合意を無視したと思われる批判を避けるための苦渋の配慮という見方もあるが、日本と韓国との間では何を話し合っても無駄というしかなさそうだ。 


 ある大手新聞の元ソウル特派員は韓国を「恨の国」というが、今ひとつピンとこない。これは韓国の国民感情というか、国民に染み付いた思想の問題のように見える。言うまでもなく韓国は儒教の国だ。儒教の本家の中国は歴史上、三国志の時代、北宋、南宋の時代、五胡十六国時代などを経ているし、異民族のモンゴル族の元、さらにモンゴル系満州族の清が支配し、さらに毛沢東率いる中国共産党の支配下では「宗教は民衆の阿片」として儒教は封じられてきたが、韓国では儒教が国民の中にしっかり浸透している。 


 ところが、日本では儒教が伝わってはいるが、不真面目な国民性のせいか、実際には都合のいいところだけしか取り入れていない。例えば、儒教で説く仁、義、礼、智、信の五常に考と悌を加えた八徳という徳目がある。『南総里見八犬伝』でお馴染みの言葉だが、日本人は仁の上に徳というのを加えたり、仁、義、礼くらいまでしか取り入れていない。親に孝、国に忠とは言うが、弟は兄を敬い、兄弟仲よくする悌はどこかに置き忘れてきている。都合のいいというか、いい加減な民族なのだ。


 司馬遼太郎の『街道を往く』で徳川時代の「朝鮮使節の絵を見ると、朝鮮使節たちは珍しさに群がる日本人を“儒教を知らない野蛮人”という目でをみている」という記述もある。


 儒教が身に染み付いた韓国人からしたら、中国は父であり、韓国は兄、日本は弟である。兄である韓国は弟たる日本に仏教を伝え、陶器の作り方を教え、さらに1日2食しか食べていなかった日本人に3食食べることまで教えたのに、弟たる日本人は兄の韓国を尊敬して従うという八徳の「悌」を守らない。それどころか兄を植民地にし、慰安婦にした、ということになる。


 だが、実は韓国と日本は文明が異なるのだ。今から30年近く前にアメリカの政治学者、サミュエル・ハンチントンが『文明の衝突』という本を出版して話題になった。同書では世界についてキリスト教を基本にした西欧文明、ロシアから南のギリシャまでのキリスト教の東方正教のスラブ文明、アラブのイスラム文明、インド文明、中国を中心に韓国からベトナムまでを儒教の中華文明など、8つの文明に区分けして「今後、文明圏と文明圏が衝突する対立が起こる」と記述しているのだが、著者のハンチントンは日本を中華文明でもないし……と悩み、歴史学者のトインビーに相談したら、「日本はどこにも属さない独自の文明圏だよ。歴史学者の間では誰でも知っている当たり前の話だ」と教えられたと正直に記している。同書では日本は世界で最も小さい文明圏で、将来、巨大になる中国と西洋文明の分身であるアメリカとの間でどちらに付くべきか悩むだろう、と予見している。 


 ちなみに、考古学上でも日本人は、どこから来たか不明の縄文人と朝鮮半島から移住し、稲作を伝えたモンゴル系の弥生人との混血だ。モンゴル系の韓国人とは少々異なる。 


 それはともかく、歴史家の目で見ると、日本は韓国の隣であっても韓国とはまったく異なる文明の国家なのである。それにもかかわらず、韓国人は日本を韓国と同じ儒教文明、中華文明の一国であり、弟だと見ているから問題が起こってしまう。韓国人が日本は歴史上、中国、韓国とは別の文明圏の国であるという「歴史認識」を持たなければ、日韓問題はいつまで経っても解決しそうもない。(常)