文春砲がお得意の不倫ネタでまたしても有名人を“粉砕”した。『小室哲哉“裏切りのニンニク注射”』。重度のくも膜下出血後遺症に苦しむ妻を支えてきた小室氏が、一方で看護師の女性と不倫関係になっていた、と暴くスキャンダル報道だ。小室氏は19日、記者会見を開き、騒動を起こした責任を取り、音楽活動を引退するという衝撃的な意思表示をした。 


 文春の取材にも丁寧に対応した小室氏は、意思疎通も難しい妻と向き合う負担を正直に認めた。何とも重苦しく、やるせない会見風景であった。ネットのカキコミには「何も引退までしなくても……」と驚く声が多かった。


 タレント・ベッキーの“ゲス不倫”以来、その恐るべき取材力で数々の異性スキャンダルを暴き、ある種の畏怖心をもって語られてきた文春報道だが、今回の事例では、さすがに風向きに微妙な変化がある。本来は家庭内の問題であるはずの不倫を、天下の大罪のように糾弾する姿勢への違和感・嫌悪感があちこちで語られる。この苦い感情は、文春報道に丸乗りして騒動を拡大するワイドショーにも向けられている。 


 エッセイストの小田嶋隆氏は、いつもは皮肉やジョークの形にして世を風刺する文筆家だが、この日のツイッターには《週刊文春という伝統ある雑誌に対して抱いていた敬意が、この2年ほどの間に、ほぼ消滅したことをお知らせしておきます》と、直球の批判を綴っている。


 ジャーナリスト・津田大介氏のツイッターでは、近年の文春の姿勢が《彼らの今のビジネスモデルが主因》と解説されている。《ゴシップはdマガジンでよく読まれ、ワイドショーに使用料請求できる。ゴシップをてこにお金に変え紙の部数減カバーしてる訳ね》 


 週刊誌の雄・文春さえも、“紙離れ”の世相に追い詰められ、生き残りのために下世話な記事の量産をやめられないというのである。テレビもまた“テレビ離れ”に直面する。私自身つい最近、テレビ報道関係者に「くだらない話ばかり延々と報じるのは、それをやらないと視聴率がみるみる下がるから」と聞かされたばかりだ。 


 結局のところ、“下半身の問題での袋叩き”は、それこそが視聴者や読者に好まれるショーであり、そんな国民が多数派でいる限り、斜陽産業のメディアはこのショーにしがみつくのである。評論家の大宅壮一はその昔、「一億総白痴化」という言葉で、テレビによる民度の低下を皮肉ったが、半世紀後にネット時代が到来し、いよいよそれは完成しつつある。 


 明白なデマ情報で憎悪を拡散するネトウヨ・ヘイト出版物が書店に並ぶのも、同じ理由である。産経やWill、Hanadaといった確信犯的メディアだけでなく、老舗の出版社にもこの手の刊行物が目立ち始めたのは、ひとことで言って、まともな本が売れないから。つまり市場がそこにしか残っていないためである。


 メディアが生き残りのために、大衆の劣情に迎合する。自らの社会的責任に目を瞑り、世相の荒廃に加担してしまう。後は野となれ山となれ。この国を破滅の淵に導いた1930~40年代の世相もまた、このように形作られたものだったに違いない。 


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。