この時期、百貨店の催事場やショッピングセンターには世界中からチョコレートが集められる。味も値段も大きなバリエーションがあり、専用のカタログやパンフレットが配布され、さながら美術館のショーケースを見ているような気分になるものもある。いわゆるバレンタインデー商戦である。理想としては女性が購入し、意中の男性にプレゼントするというシナリオだろうが、近年は、お買い上げ品の高額なものほど、購入者本人へのご褒美とされることが増えているらしい。


  チョコレートの原材料は、ほぼ間違いなくどれも、カカオから得られるカカオマスとカカオ脂、それに砂糖などの甘味料等であるが、添加物や材料配合割合の違いなどで口溶けや風味などに特徴が出てくるらしい。筆者の研究室の学生たちも到来物の上等のチョコレートには目が無いが、ヒトがチョコレートに魅了される理由の1つは独特のその口溶けの良さではないだろうか。飴玉や生クリームとは違う、体温に反応して固体が溶けて崩れる感じのあの食感である。 


 


 実はこの室温では固体だがヒトの体温くらいの温度になると溶け始める性質は、医薬品のある剤形の基剤として非常に都合が良く、しばしばカカオ脂が使用されてきた。このため、現在でも日本薬局方の医薬品各条には「カカオ脂」が収載されている。さて、カカオ脂を使って作る剤形の医薬品は何だかお分かりになるだろうか。ー 答えは座薬である。 


 座薬は薬の成分を直腸に入れ、直腸粘膜から吸収させる、あるいは直腸周辺組織に作用させるわけであるが、体温くらいの温度で溶けるカカオ脂はその基剤としてちょうど良かったのである。直腸粘膜経由の医薬品投与は、成分が肝臓での代謝を経ずに効率よく作用点に到達できる場合があったり、成分の胃腸での吸収というイベントを避けることができたりするので、胃腸を荒らす成分の投与経路として都合が良かったり、等の特徴を持ったものである。座薬の基剤には、包含する成分に化学変化を起こさず、直腸内で速やかに成分をリリースすることが必要で、カカオとチョコレートがあまりにも直結しているので、カカオと医薬品原料という言葉が結びつかなかったかもしれないが、ヒトは経験から天然の便利な素材を見いだして利用してきたのである。 


 さて、カカオという植物は熱帯性の樹木で、カカオ脂が得られるのはそのタネからである。タネは果実の中にあり、まずは花が咲いてそれから果実ができるわけであるが、このカカオの花と果実はいささか風変わりな様相である。


  一般に木に咲く花や蕾がつく枝は、それなりに先端に近い細めの枝であったり、太い幹から新しい枝が出て、その先に蕾がついていたりすることが多い。ところがカカオの場合はその常識が覆される。カカオの花は白い華奢な花であるが、それが太くて真っ直ぐな樹木の幹に取ってつけたように、にゅっと直接ついているのである。受粉すれば果実が太り始めるが、その様子は何もない壁から果実が生えているようにも見え、またつるっとした果実表面の質感や、1つずつ異なる不思議な果皮の色のせいもあって、筆者が遠い昔に薬用植物園の温室で初めてカカオの果実を見たときには、てっきり作り物が適当に飾ってあるのだと思ったほどである。 



  果実は大きくなると20センチ前後の長さになるが、外皮の色は様々で、未熟な時は緑色だが、大きくなりながら白っぽい色になったり黄色や橙色、真っ赤や濃い褐色になるものもあるようである。しかし、日陰を好むカカオの木は、影を作る大きな木の植林地の林床に植えられることが多いようで、プランテーションの外からではカカオの果実をはっきり見ることは難しいようである。


 



 


 いつの間にやら2月の風物詩になったバレンタインデーであるが、今年は是非選りすぐりのひと粒を食べながら、カカオ脂には医薬品原料という顔もある、ことに思いを馳せていただければ幸いである。 


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伊藤美千穂(いとうみちほ) 1969年大阪生まれ。京都大学大学院薬学研究科准教授。専門は生薬学・薬用植物学。18歳で京都大学に入学して以来、1年弱の米国留学期間を除けばずっと京都大学にいるが、研究手法のひとつにフィールドワークをとりいれており、途上国から先進国まで海外経験は豊富。大学での教育・研究の傍ら厚生労働省、内閣府やPMDAの各種委員、日本学術会議連携会員としての活動、WHOやISOの国際会議出席なども多い。