この稿の筆者は、実は団塊の世代のひとりである。「団塊の世代」は、厳密に言えば1947年から1949年までの3年間に生まれた世代である。この間の出生数は806万人で、現在も約700万人近くが生きていると推計されている。出生数から見ると、年間に268万人が生まれている。1949年は280万人を超える。 


 現在の出生数は年間100万人を超える程度だから、実に3倍近い出生数だ。さらにその世代の後続である1951年までの5年間でみると、現在人口だけで1000万人を超える。5年間の世代だけで、国内人口のほぼ1割を占めるというのはむろん、海外でも例がない。この5年間世代を「広義の団塊世代」、あるいは「拡大団塊世代」と称する識者たちもいるようだが、いずれにしても団塊世代が戦後の社会システム、経済に与えたインパクトが小さいわけがないことは、国内一般人、つまり国民の常識である。実はこの稿が、ことさらにこのような説明をつけるのには訳がある。 


 団塊世代は、そうしたインパクトの大きさで、国内の他の世代からみると、いつも関心を集め、よくも悪くも、社会構造変化の要因と見做されてきた。確かに、ブームや消費の牽引役だったことは否定しようがない。そして概していえば他世代の評価は芳しくない。特に若い世代からは、勝手なことばかりしてきて、高度経済成長時代の果実を独り占めしてきたような印象が横溢している。 


 例えば、「高所得のはずなのに仕事ができない連中が多い」といった悪口はSNSを覗けばいくらでも見つけられるし、現代社会の矛盾、すなわち消費税の導入の必然性に至った経緯、経済の停滞ないしは低成長、非正規労働者の拡大に象徴される労働と所得のアンバランス、正当な分配システムの崩壊、等々のすべての元凶は団塊の世代であるという言説も常識化しているし、そういう認識が支配的である。しかし、これはすべて正しいのだろうか。 


●3億9000万円のエビデンス 


「団塊の世代」が将来、大変なことになると予言したのはその後国務大臣も務めた堺屋太一氏である。金融を所管する行政の官僚だった同氏が、研鑽と研究の中から生み出した予言であることは否定しないし、時代的状況、あるいは政策的推移はまさにその通りかもしれない。しかし、その予言がまき散らされ、それを前提にした言説は、今でも相当に有効に機能している。何より、その予言によって確信された、団塊世代以後の世代が発信する団塊世代に対する嫌悪感はもう拭い去ることはできないだろう。 


 例えばそうした予言をもとにした、生涯所得に関するネットの情報を閲覧すると、団塊世代が断然トップで、3億9000万円であり、現役世代(60歳以下)は、2億円台にしかならないというまことしやかな「統計」を容易に見つけることができる。これは有力な段階世代バッシングのエビデンスになり得る。吐き捨てるように「いい思いばかりしやがって」という投げつけを正当化できるエビデンス。 


 しかし、本当にそうだろうかという平地にもう一度戻ってみてはいかがか。3億9000万円という生涯所得は、現在の2億円に相当するかどうかという検証は必要ないのかどうか。団塊世代は、国力を食い潰してきたのか。 


●オレオレ詐欺には狙われない 


 そうした一面がないわけではないという言い訳を、この際、卑怯だが一部認めることを表明しておくが、それでもこのシリーズでは、団塊世代諸悪根源説には「否」を示していく。たぶん、こうした主張も堺屋説を論破することはできない、つまり諸悪根源説をひっくり返す能力はない。ただそれに抵抗するささやかな論証は、次回以降に具体的に述べるとして、ここでは反証に至るいくつかの「誤論」を挙げる。


  第一は前述した生涯賃金である。団塊世代は3億9000万円で、世代間では最高水準であるというネット情報は、厳密に言えばフェイクだ。その数字は経年ごとのサラリーマン賃金の集積、つまり積み上げだ。そこに、その世代が消費した係数は引かれていない。収入があれば支出がある。団塊世代はおそらく、今の若い世代が想像できないようなインフレの時代を「労働者」として生きている。収入に見合った支出を強いられたという表現が団塊世代からみれば納得できる。 


 統計が信用できるなら、例えば持ち家率のデータを虫眼鏡で見るように目を凝らしてみれば、団塊世代はナンバーワンではない。生涯所得と持ち家率がリンクしないのはなぜか。むろん、シリーズ稿で検証する。実は、社会的現象にそのヒントは溢れている。 


 いわゆる「オレオレ詐欺」や、過剰な投資話詐欺などの高齢者詐欺は許せない犯罪だが、被害者の年齢構造と被害額をみると、大口被害者にまず団塊世代は登場しない。生涯賃金が断トツで多いのなら、預貯金も団塊世代は多いはずだ。しかし、これほど人口が多い団塊世代に被害者が少ないのはどうしてなのか。まだ前期高齢者だし、騙されにくいという現況も否定しないが、詐欺加害側が、3億9000万円も貯めているとは実は認識していないのではないか。それが実相に近い。詐欺集団のほうが分析力は高い。


  第二は、政策の変化である。この稿の目的は、そこに最終的な照準を合わせていく予定だが、殊に社会保障政策の変革は、この世代の動向に常に歩調を合わせている。堺屋論が実は、金融のみならず社会保障政策の隅々まで行きわたっている。本当にそれでいいのかというのがここで語っていきたい話だ。 


 年金支給開始年齢の改革は、12年間かけて3年ごとに変えていくというのは2000年初頭に示され、実行されてきた。それが、あえていえばひっそりと、ひなびた感じで小改正され、実は65歳以上(男)に段階的に開始年齢が引き上げられた。団塊世代の最終年、1949年生まれ、最も人口の多い丑年生まれは、モデル年金の受給が開始されたのはぴったり65歳の誕生日からである。 


 年金制度については多少複雑である。あえて逃げ口上を用意すれば、年金のプロがこの論に異議を唱えることは承知だ。しかし年金政策が、団塊世代に照準を合わせて改革のプロセスを仕組み、年金危機の国民的モチベーションの醸成に活用したという観測は譲るつもりはない。若い世代が、いくら保険料を払っても自分たちが年金を受ける保証はないという誤解は、団塊世代バッシングの行き過ぎた喧伝から発生している。


  年金は「保険」の仕組みだ。公的年金はよほどのことがない限り、つまり無謀な戦争を仕掛けて、国民財産を無にしてしまうような愚策などがない限り保証されるものだ。どこに団塊世代が年金財源を食い潰してしまうという根拠があるのか。訳がわからない。しかし、こうした誤解の浸潤は、社会保障政策の今後の展開、あるいは政府の行財政政策の印象操作にマイナスになることはおそらくない。 


 ある大手日刊紙の社説は中国経済に関する論評の中で、中国における貧富の差は、80年代以降の経済発展の機会に恵まれた人々と、そうでなかった人々との差に始まると論じ、「さらにその上に複合的な要因が加わった」と述べているが、その「複合的な要因」については言及していない。都合のいい論旨だ。この「複合的な要因」に言及しないことが、そのまま日本経済に関しては堺屋論、つまり団塊世代諸悪根源説の淵源につながっている。


  高度経済成長の蜜を誰が舐めたのか。このシリーズでは、蜜を舐めたのは本当に団塊世代なのかを問う。蜜を集めた挙句に、たぶん、医療費、ヘルスケアの膨らみの要因をその蜜に置き換えられて、ほんの少しだけ舐めることで、最終的には人口ピラミッドの整形を求められるのではないかとの観測を示していきたい。団塊世代の残渣が、医療大量消費の時代を引きずることの予測を含めて。(幸)