2月4日、沖縄県名護市長選で、辺野古新基地建設に反対する現職の稲嶺進氏が新顔の自民系前市議・渡具知武豊氏に敗北する波乱の展開があった。 


 背景には、自民党中央と公明党による異様な介入が存在した。企業や団体の徹底した締め付けで「期日前投票」に行った人、行かされた人は、当日有権者数の実に44%。実際の投票者の半数以上が“選挙本番前”に投票を済ませた、という見たことのない選挙だった。期日前投票所には、自公の監視要員が連日ベタ張りし、動員した一人ひとりに確認の署名までさせていた。


  小泉進次郎氏など一部人気議員を除き、菅官房長官など数多くの大物議員は現地入りしても姿を現さず、水面下で企業経営者らを説き伏せる“ステルス戦術”を展開した。候補者本人はあらゆる公開討論を拒否、陣営はさまざまなデマを含む現職へのネガティブキャンペーンに徹した。 


 例えば、反基地運動ばかりで経済を停滞させた、という批判について言えば、辺野古を容認して補助金漬けになっていた“前々”保守市長時代、300億円台だった予算規模を、稲嶺前市長は米軍再編交付金を打ち切られながらも、さまざまな他の助成制度を見出したり、税収を伸ばしたりして、400億円近くまで拡大した。歴代の名護市長でもその手腕は際立つものだった。にもかかわらず、大規模なデマキャンペーンは事実を圧倒した。 


 それでいて、今もなお6割以上の市民が辺野古新基地には「反対」と出口調査で答えている。結局のところこの選挙結果は、少なからぬ有権者が問答無用の国家権力に恐れや無力感を抱き、抵抗をあきらめた表れであった。 


 しかし今週、この問題に触れた週刊誌記事は相変わらず、ことの本質を伝えないピンボケ記事、もしくは悪意ある曲解記事だけだった。海外の話ならいざ知らず、国内の重要問題をこれほどまで捻じ曲げる主要メディアの状況も、沖縄に無力感を広げている。 


 ネトウヨ的な記事は論外として、ため息が出る思いだったのは週刊朝日のコラム「田原総一朗のギロン堂」。田原氏は、沖縄公明党の“転向”や《市民たちが展望のない「反対」に疲れ果てたのではないか》などと、ごく一般的な分析をしたうえで、多くのメディアが具体的な解決策を示さないことに不満を示している。 


 ここまでの主張はいい。だが、田原氏は続いて、辺野古に反対するならば、安保の見直しを議論しろ、と言っている。ここが違う。沖縄の要求は、実際にははるかに控えめだ。新基地を造るなら国外・県外へ。ヤマトの無理解を受け、とくに人々の胸中に燻るのは、「本土へ」というホンネである。1950年代に岐阜や山梨から沖縄に海兵隊を移したのに、その反対はどうしてできないのか。安倍首相は2日の国会答弁で「本土の理解が得られない」と語ったが、沖縄だって「理解」などしてしない。 


 裁判所を巻き込み、補助金で締め上げ、機動隊を大量派遣して基地建設を強行すればいい。沖縄でやっていることをなぜ、他県ではできないのか。これこそが「構造的差別」への怒りの本質だ。安保をいじらずとも、日本国内でかたが付く話だ。 


 メディアの曖昧さには、私も不満を感じている。国外・県外、という沖縄の主張が代案にならないなら、首相のお膝元・山口県に絞ればいい。住民の反対を踏みにじり、強制的に基地を建設する。すでに73年間、それに耐えてきた沖縄と、岩国での限定的負担に留まってきた山口の二者択一。そろそろこの重荷をバトンタッチしてもいいのではないか。本土が論ずべきなのは、そういうことである。 


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。