『不敬描写で2月公開が突如延期!「昭和天皇のピンク映画」』なるショッキングなタイトルの記事が週刊新潮に載った。ピンク映画の老舗・大蔵映画がとある作品の公開を突如延期した、という話で、さまざまな情報を集めると、「某国の象徴の王」を主人公としたこの作品、明らかに昭和天皇を想起させる設定になっていたらしい。
結局、試写会まで行われたものの、内容のあまりのキワドサから、ギリギリの段階で上映は見送られた。記事では蜷川正大氏という「民族派右翼の重鎮」の言葉を借り、「少し聞いただけでもそう思うくらいだから、不敬な映画かなという気がします(略)皇族の方には全く反論権がない。こういう映画をつくること自体、許されざることだと思います」と映画会社を叩いている。
記事そのものに異論はない。断片情報を聞くだけで、悪趣味だし、批判されるべき映画なのだろう。だが、何とも重苦しい気持ちが湧く。“幻の映画”として日の目を見なかったにもかかわらず、ことさらにその非をあげつらい、“さらなる糾弾”を促すようにも読めるからだ。文春のベッキー報道あたりから、週刊誌報道がネットで何倍にも増幅され、時に“国民的総バッシング状態”まで引き起こす時代である。「チクリ」とか「やんわり」といった雑誌記者のさじ加減がきかないケースも多々あるのだ。
しかも過去、右翼テロと結びついたこともある“皇室への不敬問題”ともなれば、深刻なリアクションだって無きにしも非ずだ。「何が起きようと知ったことではない」と媒体が開き直れる時代ではもはやなくなっている。記事に付く「不敬映画」の一覧に、戦争の狂気を描いた昭和の衝撃作『ゆきゆきて、神軍』まで含まれていることにも驚く。 「皇族には反論権がない」という言葉は過去20年間ほど、皇太子妃の適応問題から最近の眞子さまの縁談をめぐる報道まで、むしろ週刊誌のゴシップ報道に向けて使われてきた。現実に日々、皇室を悩ませるゴシップ報道は棚に上げ、バカバカしいとしか言いようのない表現活動でも、天皇制という抽象的権威を傷つけるものには、「不敬」というこの上ない重罪のレッテルを貼る。そんなダブルスタンダードにも複雑な気持ちが湧く。
先週、勝手な想像から“行き詰まり感”を指摘した週刊文春は、不倫とも相撲問題とも異なる新鮮なスクープを放っている。『国民栄誉賞の金メダリストに何が? 伊調馨悲痛告白 「東京五輪で5連覇は今のままでは考えられない」』。日本の女子レスリングを牽引するスター・伊調選手が『恩師栄和人強化本部長からの「陰湿パワハラ」』に苦しんでいる、という記事だ。
栄氏本人や日本レスリング協会は否定しているが、第三者の弁護士から内閣府に出された告発には、自らの手を離れ、他のコーチの指導を受けるようになった伊調選手に栄氏がさまざまな嫌がらせをしてきたことが書かれているという。
柔道協会にも以前、似た話があった。相撲協会も然り。組織内の実力者の傍若無人なふるまいを許容するタテ社会・ムラ社会。近年は国家権力にまではびこる日本的風景だが、この前時代的な病根はとくにスポーツ界で培養され、中学・高校の部活動によって今世紀まで継承されてきた。忖度や保身で動く人々の醜悪さを見るにつけ、そう思われてならない。ともあれ、文春編集部のスクープを讃えたい。
……………………………………………………………… 三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。