医療関係、特に製薬会社の新製品発表会などで、しばしば登場する「QOL」という言葉。Quality of Lifeの略語なのだが、文字通り「生活の質」といった意味合いで使われる。 


「今回承認された新薬で、患者様のQOLが上がる」といった具合だ。 


 その本質について深く考えさせるのが、QOLについてさまざまな論点を扱った『QOLって何だろう』。 


「薬を飲む回数が減った」「つらい治療を受けずにすむようになった」など、わかりやすいQOLの向上は誰しも歓迎だ。しかし、現実はそう簡単ではない。〈QOLの内容が多種多様である〉〈「何が大切なのか」は人それぞれで、極端に言えば、人の数だけQOLがある〉からだ。


  本書で登場する患者のひとりに、視力を失った写真家がいる。視力を回復させる手術と脳腫瘍の手術、どちらをとるかを迫られるが、〈写真を撮ること。それは、俺にとって生きることだ〉と目の治療を選択する。 


 少しでも長生きしてほしいと考える医療従事者にとっては(私にも)、容易に理解しがたい選択なのだが、〈「写真家でいること」こそが「生きること」〉である本人にとっては、目の治療が優先されるのだ。


  著者は、個人のQOLを考慮した選択が可能になった背景を解説しているが、なかでも医学の進歩による「疾病構造の変化」は大きな要因だろう。


  多くの人が感染症で亡くなっていた時代には、「選択」という概念すらなかったはずだ。〈とにかく一刻も早く治療を開始して、治してしまう必要があり〉、〈つよい感染力をもつ病気の場合、公衆衛生上の観点からしても、個人のQOLを考慮する余裕などなかった〉。


  しかし、現代では多くの感染症が致命的な脅威ではなくなった(もちろん「エボラ出血熱」のような例外はある)。 


 一方で、生活習慣病のように〈そもそも治療をうけるかどうか、あるいは、保存療法か、外科的治療かなど、治療の選択肢があり、本人が自分の仕事や生きがいなど、人生の質を考えながら、個人の責任(自己責任)で決定することができる〉病気が増えた。


 ■病院医療とQOL 


 著者は戦後の日本の医療の変化として、〈往診が減っていき、病人の方が病院へ出向くように〉なった点を挙げる。そして未曽有の超高齢社会である。病院医療へのシフトと患者の高齢化は、QOLをめぐる選択に複雑さを与えている。


〈病院で働く医療者にとっては、とにかく患者の病気を治す、救命するというのが至上命題〉。若い患者であれば、治療が正しい対処法になるケースは多いだろう。


  しかし、高齢者にとっては、必ずしも治療が正解ではない可能性もある。高齢者は身体の機能が低下し心身ともにストレスを受けやすい状態(本書では、「フレイル」という概念を紹介している)の状態になっているからだ……、などと難しいことを言わなくても、「もう90歳近いから、おばあちゃんがつらい思いをする手術を受けさせなくてもいいんじゃない?」なんて親族で話した経験がある人は多いだろう。


  病院医療と本人のQOLが相容れないケースがあるのだ。


  高齢者が治療を受けるか受けないか? 実態としては、本人以外の家族が判断するケースも多いと思うが、本人以外の人が判断することのリスクもある。 


“死に場所”についてもしかり。半数以上の人が「自宅で死にたい」と考えているにもかかわらず、実際に自宅で亡くなる人は10人に1人程度。危篤状態になった時などに、「助かるかもしれないから病院に」(本書では〈看取り搬送〉と表現されている)などと家族が救急車を呼び、本人の意思に反して病院で亡くなる人は多い。


  冒頭記したように、QOLは個別性が非常に高い。加えて疾病構造や医療技術、そして社会の姿も時代とともに変化していく。つまり、選択の形も変わっていくのだ。例えば、余命の予測が可能になり、高い確率で120歳まで生きるとわかっていれば、90歳でも「手術を受けたい」と思うかもしれない。


  本書は、マニュアル本のように「○○すれば解決」といった類いの本ではないが、現代の医療が持つべき「治療以外の視点」を与えてくれる一冊である。(鎌)


 <書籍データ> 『QOLって何だろう』 小林亜津子著(ちくまプリマー新書780円+税)