これまでは、第1次オイルショックの1974年、第2次オイルショックの1979年の賃金上昇動向の分析を通じて、団塊世代と主にその前の世代との比較を示した。狂乱物価という言葉に象徴されるこの5年間の時代以後、日本の高度経済成長の終わりと、その後の安定成長時代、バブル崩壊後の低経済成長へと時代は変遷していくことになるが、団塊世代がその他の世代から「恩恵を受けた」とされる、74~79年の賃金上昇は実は、この世代が調整弁として使われた形跡が濃厚であり、イメージ通りの「恩恵」は実在しない可能性があることをみた。


  きわめて感傷的に、情緒的にこうした分析を眺めると、その5年間は団塊世代ではなく、その上位世代に対する「優しい配慮」がみえ、団塊世代はその塊の大きさゆえに「調整」というインパクトが大きく行使され、上位世代に果実を譲った景色もみえる。前回までに数値で示した、大幅ベアが実行されたこの時代、団塊世代のベアは低めに抑えられ、60年安保世代、さらにはその上位世代はベア率が高い。74年の団塊世代は25~27歳がすっぽりと入る。一方で、当時30~39歳のいわゆる60年安保世代のベア率は、団塊世代より2%近く高い。 


 情緒的にみれば、この当時の団塊世代、あるいは70年安保世代は、労働市場ではまだ新人、ルーキーといった存在である。男性に限れば、まだ結婚していない人々が多数であり、いわゆる家庭という場所は意識として低かったということができる。ところがその上位世代、60年安保世代は、労働市場では中堅であり、中間管理職が具体的に視野に入り、家庭を持つ人も多数派に入ってくる。社会人としてのステップ期間の違いが、大幅ベア時代と重なったことによって、団塊世代はその塊の大きさゆえに物価上昇率の伸びの範囲内からしかベア率を確保できず、一方でその上位世代はそれを上回るベア率を確保した。


  社会全体に、家庭を持っている世代への優しい眼差しがこうした現象を生んだと、筆者はみる。消費支出は、世代間で最も大きな落差が出るであろうという、極めてラフな情緒が、2%内外というベア格差を生んだのではないか。


  考え方を変えれば、賃金のトレンドについて当時は、塊の大きい団塊世代のベアを抑制し、上位世代に厚めに分配することで、全体の資金流動を結果的には物価上昇率の範囲内に収め、その後も続くと踏んでいた高度経済成長の中で、団塊世代の社会生活ステップに合わせて、引き上げていけばいいという将来設計が行われていたのではないかと筆者は疑う。むろん、高度経済成長はその時代でピリオドを打ったのだが。 


●連綿と引きずった5年間の落差


  確かに、79年までの5年間で、団塊世代の平均賃金は他の世代に比してその修正幅は大きかったことは、前回までの分析でみてきた。しかし、その5年間の修正は79年のベアで再び、団塊世代だけが、他の世代と1ポイント以上の格差をつけて引き上げられなかった。塊の大きさを考えれば、この1ポイントの再修正の大きさが、その後の安定成長下、バブル時代とその崩壊、低成長下で連綿と影響を与え続けたことは想像に難くない。


  なぜこうした状況をくどくどと概説するのかというと、例えば74年前年の団塊世代の平均賃金が月ベースで7万円程度だと仮定すると(第2回で示した賃金センサスは賞与も含めて案分されているので、ここでは月収ベースで想定する)、74年のベアでは26%のアップ率で計算すると、月収は8万8000円程度になる。上位世代の平均賃金を9万5000円程度だと仮定すると、ベア平均28%で計算すると12万2000円程度になる。絶対賃金でみれば、その格差は2万5000円から3万2000円に拡大する。つまり、もともと母数の大きいほうの上位世代のベア率を、低い方より高めに設定すれば、絶対賃金の格差は拡大する。 これを是正しようとした79年までの5年間は確かに存在するが、79年には何度も繰り返すように、再度、団塊世代の賃金は他世代より1ポイント低めに抑制された。この落差は、団塊世代とその上位世代が定年退職するまで、つまり現状まで持ち越されているのではないか。品のない表現をすれば、誰が得をしたかは、これまでの分析、仮説で明瞭ではなかろうか。簡単にいえば、団塊世代は生涯賃金において、最も多くを得たというのは塊の大きさであって、個々に還元すれば、その上位世代よりは冷や飯を食ったのだ。 


●団塊世代には寝たきりにはなれない 


 この74~79年に確定された世代間の賃金格差は、いくつかの指標にも反映されている。それは現実の財産の問題でもあり、あるいは年金を中心にした退職後の所得、そして社会保障財源の逼迫を背景にした医療費や介護費用の拡大に関する団塊世代バッシングにつながり、それを受容する形で団塊世代には延命医療を受けないという思潮が急速に拡大している。同調圧力が強まることを勘案すれば、団塊世代は寝たきりになる人はほぼいなくなるかもしれない。その思潮を考慮に入れた政策展開はたぶん、間違いなく今後、実現されていくだろう。


  財産に関して言えば、その最もわかりやすい指標は「持ち家」であろう。2015年の総理府統計局の家計主の年齢階級別持ち家世帯率をみると、08年の団塊世代(当時の50代後半)の持ち家率は75.9%であるのに対し、その上位世代(60代前半)は78.8%、さらにその上位(60代後半)は79.9%であり、前回も使った60年代安保世代と70年代安保世代という比較で見れば、2~4ポイントの開きがある。5年後の13年では団塊世代(60代前半)は77.9%、上位の60代後半は79.7%、70代前半は80.2%で、その差はやや縮小するものの、依然として格差はついたままだ。強引にデータを引き比べれば、74~79年の高ベア時代の名残りが連綿と続いているように筆者にはみえる。


  持ち家に関しては、単純な所有率だけの比較ではなく、持ち家の質も比較検討されなければならないだろう。家屋・土地の広さ、通勤や買い物へのアクセスなども勘案する必要がある。


  特に、家に関しての分析に関しては、何歳で家を持ったか、その当時の土地・家屋の費用はどの程度だったかを比較する必要もある。賃金では上位世代に格差をつけられた団塊世代だが、その後の経済指標も彼らには上位世代とは違った環境が待ち受けている。60年安保世代は、家の取得に関する時代背景は比較的、安定的な状態が続いていたと類推できる。むろん、オイルショックは不動産価格も上昇させただろうが、それを吸収できる所得拡大もみられた。 所帯を持ち、不動産所得に対する意欲が顕在化したのは、60年安保世代が35歳前後からだとすると、時代は1979年から80年代初頭だ。一方、団塊世代が同じようにその年齢あたりから不動産取得に意欲を見せ始めたとき、バブルが始まっている。不動産価格は急激に上昇した。そして、高価格の不動産を取得した挙句に、92年にはバブルは弾ける。この世代間の経済環境の変化は、団塊世代が塊と機能したことで不動産バブルに弾みをつけたともいえるのではないか。


  次回は、こうした財産や年金政策の推移と団塊世代の関係をみていこう。そして、団塊世代より上位の世代に対する、社会の優しさの背景にあるものもみていく。(幸)