森友問題に対する認識は、保守系誌の週刊文春や新潮を含め、どの週刊誌も現政権による巨大スキャンダルと見る点で変わりはない。月刊誌の「Hanada」や「Will」、産経新聞の「正論」といった最右派の媒体で安倍応援団の“文化人”たちが冤罪説を吹聴し、問題追及する側を「魔女狩り」と非難しているが、あまりにも痛々しい。それほどに朝日新聞のスクープは決定的だった。


  佐川宣寿・前財務省理財局長は先の証人喚問で、首相夫妻や大臣など“上からの指示”をきっぱりと否定、そのうえで、具体的証言を拒む“役割を演じた”。正論文化人の面々は、いつの間にか問題の核心を首相夫妻らの“直接的指示の有無”にすり替え、勝ち誇っているようだが、馬鹿馬鹿しい限りだ。


  そもそも昨年の流行語が「忖度」だったことを思えば、問題の核心は当初から“首相夫妻による『直接的』指示”などという話ではなかった。霞が関全体の“忖度による行政の捻じ曲げ”が疑惑として問われてきたのである。 


 結局のところ、佐川局長らが、前任局長時代の“不可解な取引”を誤魔化すため、なぜ決済文書の改竄や事実上の虚偽答弁といった違法行為にまで手を染めてしまったのか。オリジナルの文書になぜ、昭恵夫人や政治家の名前が多々記され、日本会議についてまで説明されていたのか。森友への国有地売却は、特別な政治案件だったが故の優遇で、その事実を隠すために文書改竄が行われた。そういった極めて常識的解釈を、メディアと野党が“でっち上げたストーリー”と否定するならば、それこそ彼らの考える“真相”を調査報道で提示してほしい。正論文化人たちは屁理屈をこねるだけで、その努力はしない。 


 というわけで、文春・新潮を含めた週刊誌ジャーナリズムは、幸いにしてこうした“政権との一蓮托生派”と同調せず、“まともな保守”としての矜持を守ってくれていている。保守リベラルの二項対立にはまり込んでしまうと、延々と不毛な神学論争になりかねないものだが、ファクトと論理による当たり前のスタンスに立てば、もはや疑惑の有無を論じる段階は過ぎ去ったと言っていい。 


 とりあえず、今週の各誌メイン記事のタイトルはこんな感じだ。『妻を見捨てるか、総理の座を捨てるか──次の一手を読む 政治記者50人緊急アンケート 「結局、安倍総理は辞めるのか」(現代)、『“党内支持率”急降下、重鎮OBから現職職員まで「退陣勧告」 「安倍総理、もうあなたは終わった」』(ポスト)、『まだある“安倍昭恵首相夫人案件”』(週刊朝日)、『安倍内閣が描く卑劣なシナリオ 何度でも言う! 疑惑の主役は「安倍首相夫妻だ!」』(サンデー毎日)、『安倍政権「暗黒支配」と昭恵夫人の嘘を暴く』(文春)、『散り際の安倍昭恵』(新潮)。 


 思い起こせば、疑惑の出発点で報じられたのは、森友の幼稚園で行われていたあの奇怪な運動会風景である。正論文化人たちは軒並みこの幼稚園を礼賛し、産経新聞もこれを取り上げていた。ところが、疑惑の発覚後は手のひらを返すようにして、籠池夫妻を詐欺師・嘘つき呼ばわりし、今もなお、支離滅裂な論陣を張ってでも政権を守ろうと必死だ。


  安倍政権の罪深さは、政策上のさまざまな問題や腐敗にもまして、“このような人々”をひのき舞台に乗せ、社会や政治に多大な影響力を持つモンスターにしてしまったことだ。個人的にはそう思っている。


 ……………………………………………………………… 三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。