●上がらない賃金と上がる家賃


  これまで、団塊の世代(1947年~49年生まれ)の世代が、社会的に受け取られているネガティブな印象には、かなり大きな誤解があるのではないかと指摘してきた。確かに、この世代を中心に5年間ほどを「拡大団塊世代」として捉えてみると、約1000万人ほどがこの年齢層に塊り、そのすべてが現在65歳を超えて年金受給世代に入った。社会的インパクトが小さいわけはない。


  ただ、この連載で指摘したいのは、団塊の世代(拡大も含めて)は、この国のあらゆる経済政策、社会保障政策に関して、常に調整や、改革のモチベーションとして機能してきたことを社会は知るべきだと主張したいのである。そのことは、最も大きなインパクトとして現れる所得政策、雇用と賃金の関係ではあからさまに表れていることを、特に賃金動向を例に前回までみてきた。


  結論的に言うなら、高度経済成長の果実を十分に味わったのは、団塊の世代より前の世代である。筆者は、これを60年安保世代と70年安保世代の落差とみてきた。さらに拡大すれば、60年安保世代の前の世代、つまり1930年頃に生まれ、終戦直後に高校から大学に進学した世代(むろん、大学進学率は現在と比較にならないし、学制も違い、多くのこれらの世代は戦争という辛酸をなめてきた人たちであり、その荒れた時代を生き抜いてきたことを侮蔑しているわけではない)を戦中世代と呼ぶなら、はっきり言って、全体として戦後の成長の果実を得たのは、団塊世代以前の世代であることは明確に常識として持たねばならない。 


 これら団塊以前世代は、医療では延命医療世代と名付けるとわかりやすいかもしれない。60年安保世代は健康寿命世代に入ってはいるが、この連載の結論を先取りしていえば、団塊世代は平穏死世代に多分なるはずである。


  そして、これらの世代間格差はかなり知られていないことが多い。前回も少し触れたが、持ち家率では、この世代間の格差はかなり濃厚に残っている。60年安保世代の持ち家率は80%を超えるが、団塊世代はそれより4~5ポイント低い。2008年の総務省統計局・住宅土地統計調査から持ち家世帯をみると、現在後期高齢者に入るグループの家計主が所有するのは646万9000世帯だが、まだ前期高齢者の団塊世代グループは401万4000世帯。世代間の人口、世帯数格差を勘案すれば、団塊世代の持ち家率はかなり低水準だと推定できる。こうした事態は、現在社会問題化し始めている空き家増加の構造性を示すものだともいえる。 


●団塊世代の就職時期に高騰した家賃 


 住むところに関して、次に彼らの若い頃に目を転じてみよう。戦中世代、60年安保世代、団塊世代を通じて、どの統計を見ても当然だが若い時代の持ち家率は低い。特に都市部ではこの傾向は顕著だ。ということは、高度経済成長時代に都市への移動がダイナミックに進み、そしてその多くの人びと、世帯は借家住まいだったということになる。


  1988年の住宅統計調査は、1963年から5年毎の1畳当たりの家賃の推移を明らかにしている。それによると、63年の1畳当たり家賃は254円である。63年は東京オリンピックの前年であり、まさに高度成長時代の真ん中である。これをベースに考えると、例えば6畳1間のアパートの家賃は1500~1600円程度だったということになる。


  むろん所得との相関が問題にされなければならないし、トイレや浴室の整備状況などもその後の家賃相場に影響を与えていると思われるので、こうした統計結果を鵜呑みにするのは早計だが、63年は戦中世代は壮年期であり、60年安保世代は学生であるか就職してからまだ間もない。そして団塊世代は中学生から高校生。これが5年後の68年になると430円となり、その後、73年750円、78年1222円、83年1624円、88年2017円と推移している。 


 この間、5年ごとの上昇率は63年~68年69.3%(年率11.1%)、68年~73年74.2%(同11.7%)、73年~78年62.9%(同10.3%)、78年~83年32.9%(5.9%)、83年~88年24.2%(同4.4%)である。68年からの5年間は、団塊世代が大学生か就職した時代であり、その頃に急激に家賃が上昇したことになる。73年からの5年間も年率で10%を超える上昇幅を示し、この間、狂乱物価等の要素もあって、賃金が上昇したとはいえ、暮らしの中で、住宅に関する支出が大きなウェイトを占めていったことが類推できる。 


 筆者が上京し、東京で大学生活を始めたときは68年だが、当時の東京の私鉄沿線のアパート家賃は1畳1000円が相場だった。それが20歳の頃には1500円になったことを記憶している。1949年生まれの団塊世代最終年世代が就職した72年の大卒初任給相場は4万3000円程度であり、家賃は賃金所得の3割程度を占めていたことになる。対して、その前の世代は、前回までに示したように賃金上昇率は団塊世代を超えて増え、調整は団塊世代にしわ寄せされた。賃金に対する家賃ウェイトは相応に低かったはずであり、団塊世代の就職時代からの急激な家賃上昇は、相対的に彼らの家賃以外の可処分所得を低下させたとみることができる。


  なお、この統計では当時の京浜大都市圏の家賃相場は、全国平均の1.5倍だと明記している。京浜都市圏への人口集中は今も続いており、こうした構造性は、都市部での就職が増えた団塊世代には、さらに弾みをつけて直撃し、中堅となっていたその前世代は、こうした生活実態の中でも団塊世代に借りを作っているということも判明するのである。


  家賃も商品対価とすれば、需要が供給を喚起し、需要に応じて商品価格は上がる。団塊世代と言う塊は、それ自体が消費の標的だったのであり、それをカバーするシステム、つまり賃金はその上位世代に厚めに回ったということがダイナミズムをもって進められたとみていいのではないか。配分が本当に妥当であったのか、その検証もせずに、塊だけをみて配分が妥当だったというのは早計である。 


●オレオレ詐欺の標的にはならない 


 ボリュームが大きければ絶対量は大きい。しかし、それが平均的に所得として、団塊世代個々に配分されたかは疑ってみようというのが、この連載の目的だ。前述したように、その団塊世代は、拡大世代もすでに年金受給者、前期高齢者の仲間入りを果たした。所得の大きなウェイトは年金となったが、その年金制度についても団塊世代は調整機能を担うことを余儀なくされている。


  お馴染みの、高齢者を支える若い人のイラストは、現在の前期高齢者には実は納得がいかない絵である。かつてたくさん支えていた若い人、つまり絵の下にいた団塊世代が、上に乗った途端、下の若い人は泣き顔になる。この絵の残酷さは、団塊世代を能天気な高齢者に描き、まるで、これからのすべての果実を貪る象徴として描いていることである。実は、団塊世代は、その上の世代を彼らが高齢者になる前から支えていたのである。果実はすでにあまり残ってはいない。 


 というわけで、次号では年金問題の推移をさらってみる。そして次々回からは、その行き着く先は、健康寿命で平穏死という日本社会の要請にたぶん、健気に応えていく団塊世代を予測して、医療大量消費時代がどのように姿を変えるのかをみよう。団塊世代は本格的な医療ビジネス時代のカモになる。たぶん、オレオレ詐欺の標的にはならない。(幸)