●支給開始年齢を引き上げられ支給額も減った


  前回、このシリーズは年金制度に対する団塊世代への対応を軸に、この世代が制度の調整弁としての役割を担っていることを検証してみたいと約束した。しかし、年金制度は、その仕組みと設計、歴史的な変動、政策、つまり選挙への影響を考えた政策の二転三転等々、筆者にとっては手に余る要素が山積する。資料としての年金制度のガイダンスや制度史を通覧してもほとんどが理解を超えるか、1年ほどの猶予をもらって、一から勉強するしか方途がない。


  要領よくまとめられたガイドブックもみたが、信頼に足るとは思えない。どこか、社会保障制度イデオロギーともいうべき、バイアスのかかった主張をベースにしていることが多く、ことに「年金制度は危ない」とか、今の若年者世代は受給できないといった悲観的な予測が主軸となっているものは信頼感が薄い。むろん、年金制度の存続をいかにするかは国家的なテーマであり、団塊世代とそれ以前の世代が生きてきた高度成長時代ではなく、若年者には非正規雇用を象徴とする雇用環境の激変も年金制度に大きな影響を与えていることも事実として受け止めるが、若い人に年金保険料を払っても意味はないという見解には同意することはできない。どうしたら制度が維持できるのか、維持するためには何をすればよいかを考える時代だ。悲観論で煽るメディアも批判されるべきときだと思える。 


 そして団塊世代は年金でも、その制度を維持するべく調整弁として機能させられている。 


●公費負担50%の壁


  年金の仕組みは実に複雑で、政策的関与を受けながら複雑さの中で修正が繰り返され、挙句には行政も年金問題では記録問題など数度に及んで、大失態を繰り返してきたことは周知の通りである。それらを一つひとつ振り返ってみる余裕も、能力も筆者には欠けているので、ここでは厚生年金に的を絞って、支給開始年齢の引き上げと、そのターゲットについて、また支給額の変遷をみながら、大雑把なストーリーをみていきたい。誤謬や誤解があるかもしれないが、そこは読者に再検証してもらうしかない。ただし、その検証には膨大な労力を必要とする。


  厚生年金の支給開始年齢の引き上げは90年代当初からの大きな政策課題であった。背景には、社会保障費用の伸長する中で、消費税の導入という懸案がくすぶっており、背景には総報酬に対する国民負担、つまり租税、社会保険料負担を50%以下にするという政府目標が重視されていたことがある。90年代の社会保障学者の多くは、少子高齢化社会に進む日本の将来展望が見えており、国民負担50%以下を政策課題目標とすべきではないという意見を持っていた。60%という具体的な目標値に変更すべきだという学者もいた。しかし、その後の小泉改革でも聖域なき改革の名目のもとで、50%は鎖につながれたままであったというべきだ。


  先に進みすぎるが、このコラム「医療の大量消費時代」は保険医療費の増大を問題にしているわけではない。今後の改革では、保険医療費は縮小への政策が公然と進められるはずである。すでに薬価政策でその石は打たれているが、公的社会保障の問題の元凶はこの50%であることは明確に記憶したほうがいい。公的制度は年金であれ、健康保険であれ、その保険料や税負担を引き上げれば維持できる。しかし、政権はその選択ができない。消費税の導入や引き上げで、ことごとく権力が倒れた経緯をみれば、増税は政権にとっては致命傷になることは十分に学習してきた。


  1980年から懸案とされてきた支給開始年齢引き上げは、1994年に初めて決まった。ただし、このときは定額部分だけであり、報酬比例部分はそのまま60歳支給が維持された。これによって、65歳までは働くという意識づけが国民には生まれた。このときの改正は、労働市場の高齢化対応と年金制度に対する国民の関心を呼び起こしたが、その後、2000年改正で年金支給開始年齢は報酬比例部分も含めて3年ごとの見直しで段階的に引き上げていく方向が示されることになる。


 その後、2004年から2011年に至るまでの政局のめまぐるしい動きの中で、年金問題は大きなテーマとなっていくが、党派間の妥協の産物ともいうべき各種の制度変更が行われ、制度は複雑さを倍加させた。「100年安心」などという年金制度改正に伴うキャッチフレーズが生まれたのも04年以降。しかし、制度自体への真の理解は国民から遠のき、雇用環境の悪化もあって「100年安心」は結果的に色あせる。


  ことほど左様で、年金制度の変革史を辿ると、いつまでも本題に進めないことが理解できると思う。ここまで制度を複雑化したツケはいつか誰かに回る。年金問題は、再び国家的論争を巻き起こす火種だ。 


●1980年代水準に戻り始めた年金支給額 


 支給開始年齢は2000年の改正で盛り込まれた。報酬比例部分について、男性は2013年から2025年にかけて、女性は2018年から2030年にかけて、3年毎に1歳ずつ60歳から65歳に引き上げることになった。男性に限ると、2013年は団塊世代が64歳から66歳。こうした方向が出たことで、団塊世代の退職年齢は65歳が一般化する。むろん、雇用制度の改変が伴い、60歳以上の場合は年金と賃金の整合が図られ、実質は団塊世代の所得は大きく減らされた。


  では、男性の年金受取月額と標準報酬月額平均の推移をここでみる。何度も言うように、年金制度はその算定方式をはじめ、総報酬の把握の仕方、可処分所得スライドの変更などの複雑な修正が行われているので、下表を一面的に捉えるのは危険だが、参考にみよう。

年  平均年金月額(A)  標準報酬月額平均(B) A/B

1965年   10000円       27725円       36% 

1969年   19997円       44851円       45% 

1973年   52242円       84801円       62% 

1976年   90392円        141376円       64% 

1980年   136050円      201333円       68% 

1985年   176200円      254000円       69% 

1989年   197400円      288000円       69% 

1994年   230983円      340000円       68% 

2000年   238000円      367000円       59% 

2004年   233000円      393000円       59% 

2009年   223000円      358000円       62% 

2014年   218000円      348000円       63% ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 

 データとしては不完全だが、しかし傾向はみることができる。団塊世代がすべて65歳に達したとき、60年安保世代が65歳に到達したときより1万5000円~2万円の開きがある。各種制度において、団塊の世代が調整の役割を果たしていることが、年金でも窺い知れるのだ。


  次回からは、団塊世代が平穏死の時代になる思潮をみながら、公的制度としての医療消費から、自由市場での医療を軸とした大量消費時代の幕開けを展望する。(幸)