週刊新潮前号のスクープ、福田淳一財務事務次官の「おっぱい触っていい?」問題で今週は大騒ぎだった。昨年の豊田真由子衆議院議員による「このハゲー」発言を思い出させる騒動だが、世の中はややこしい政治問題より、こういった話にはるかに反応する。少なくとも、近ごろのわが国民は、そうした傾向が強い。統治機構の歪みや国家的な大テーマより、「物言い」や「立ち居振る舞い」の“許しがたい逸脱”を、何より忌み嫌うのだ。


  もちろん、暴露された事務次官の物言いは唖然とするほどにバカ丸出しであった。実際、許しがたいセクハラではあろう。ただ、同業の取材者として、今回のケースでより腹立たしく思うのは、記者を頭から舐め切っていたことだ。似たような不快さは、麻生財務大臣の記者たちへ受け答えにも感じる。


  日々ニュースで流されるぶら下がりや囲み取材の光景で、若々しい記者たちの媚びるような態度や愚にもつかない質問を見ていると、官僚や政治家が、彼らを侮りたくなることもわからなくはない。 


 個人的にはここ数年、そもそも政治部という部署が報道機関に必要か、という疑問さえ抱く私だが、どうしても記者を張り付ける必要があるとするならば、もっとふてぶてしいジジ・ババ記者をあてがえばいいと思う。「新聞など読まない」という大臣には、「だから漢字が読めないのか」などと言い返してやればいい。


  今回の騒動では、記者の無断録音を問題視する声もある。くだらない批判だと私は思う。相手は質問者を記者とわかって話しているのである。なかには、やりとりを一言一句記憶できる者だっていないとは限らない。それでもこの手の話では、録音が暴露されない限り、相手は絶対にシラを切る。永田町や霞が関の住人は、基本的にそういった連中だ。 


 無断録音がばれたら相手はもう、話してくれなくなる。記者の側はそれを覚悟して、いざという大勝負のときは、腹をくくってそのカードを切ればいいだけだ。そういった緊張感の欠如こそ、問題なのである。


  今週は文春が『「安倍命の官邸にはついていけない」


 柳瀬唯夫元秘書官オフレコ発言録』という記事を載せ、官邸で絶大な力を持つ“側用人”今井尚哉秘書官と比較して、加計問題で矢面に立つ柳瀬元秘書官は今ひとつ、「首相命」という忠僕にはなりきれない人だったと明かしている。


  ならば柳瀬氏も、この際もう、何もかもぶちまけてしまえばいい、と思うのだが、そうもいかないのが、官僚というものなのか。その点、今井秘書官は豪胆さと政治的嗅覚で今の地位を得たらしいが、さまざま報じられた情報を見る限り、この人は東大法の卒業生ながら、人文的教養や深い思索とは無縁の人らしい。官僚たちの出世レースというものも、何とも物悲しい世界のようである。


  文春の巻末には毎週、過去2号の人気上位記事5本の順位が載っている。政権批判の大特集は少なくとも過去2回、1位の人気記事に差を空けられて2位。もともと保守読者が多い文春では、どうしてもそれが限界かもしれないが、それにしてはモリカケ問題で編集部は頑張っていると思う。 


……………………………………………………………… 三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。