自分や家族が健康上の大きな問題を抱えていないかぎり、普段、「死に方」を自分事としてイメージする機会は少ないだろう。
しかし、いずれ誰もが死に直面する。『「在宅ホスピス」という仕組み』は、人がどうすれば尊厳を持って死ぬことができるか?を考える一助となる一冊だ。
ホスピスとは、終末期にあるがん患者などの苦痛を、医師や看護師など医療のプロだけでなく、ボランティアも含めた“チーム”を組んでケアしていく施設。 “在宅”ホスピスとは、その名の通り、在宅でホスピスケアを実現する取り組みである。〈制度に基づき疾患の限られてしまうホスピスと違って、がん、非がんを問わずに、どのような疾患でもホスピスケアが提供できる〉のが特徴だ。
よくメディアなどが実施するアンケートでは、「住みなれた自宅で死にたい」と答える人が8割程度いるが、日本人の約8割が病院・診療所で亡くなるのに対し、自宅で死ぬ人は12.8%に過ぎない。まったく逆の結果になっている。
昨今、官民が力を入れている「地域包括ケアシステム」では、医療と介護、福祉など多職種の人々が連携して、〈住み慣れた生活の場で、人生の最期まで生活を続けられるように〉する仕組みの構築が始まっている。しかし、現状で「かかりつけ医」の不足などにより、現状では、十分に機能しているとはいいがたい。地域包括ケアシステムのさまざまな課題については、本書を参照していただきたい。
■分子標的薬で減った、死までの時間
本書では、どのように高齢者の身体の機能が落ちていくか、がん、内臓疾患、認知症・老衰の3タイプに大別して記述されており、亡くなるまで、どのような経過を辿るかがよくわかる。
がんでは、〈死の近くまで通常に近い状態を保つが、ある時期から、まるで階段を転げ落ちるように短期間に(身体の機能が)低下し、死に直面する〉。糖尿病や脳梗塞などの内臓疾患は、〈慢性疾患であり、完治は難しいことも多く、時の経過とともに、悪化と改善を繰り返す〉。一方、認知症は〈誰かの介護を受けなければ生活困難な身体機能状態が、長い期間続いた後に、最期が来る〉。
残された時間をどのように生きるか、経過がわかっていれば、本人も家族もどのように生きるか(死ぬか)を考える際に大いに役立つだろう。
もっとも、最近はがん患者の本人や家族が〈いきなり現実的な死に直面することが、目立ってきた〉という。皮肉なことに、その原因は分子標的薬。
〈分子標的薬登場以前であれば、もっと早い段階で、治療の継続を断念せざるを得ないケース〉が多かった。だが、新たな治療薬が出てきたことで、可能性を信じて治療を継続する患者が増えたのだ。
ただし、〈転移・再発した固形がんのほとんどは、最新の分子標的薬をもってしても、治癒することは困難〉である。治療を継続した結果、大切な“死までの時間”が削られてしまった人も少なくないのである。
延命治療をどう考えるか?
胃瘻や中心静脈栄養法といった、元気な人から見れば、不自然に見える医療については、〈本人の食欲の有無や意思にかかわらず、時間が来れば他動的に注入されるので、自らの意思で「生きる」というより、「生かされている」と言ったほうが適切かもしれない〉という側面がある。
一方で、栄養を取ることで、延命できたり、元気を取り戻したケースもある。こうした処置が必要になった時どうするか、普段から本人が意思表示をしておいたほうがよいだろう。死の縁で家族が選択を迫られた場合、〈家族は、それら延命法を選択しても選択しなかったとしても、どちらにしても後悔する可能性は高い〉からだ。本人の意思で決めたことなら、どちらを選択しても本人の尊厳は守られる。
本書も含め多くの終末期医療、高齢者介護の書籍は、基本的には何らかの身寄りがいる前提で書かれているが、これから爆発的に増えてきそうなのが、身寄りのいない老人の死。地域包括ケアシステムの後は、医療や介護の枠を超えた、社会システムづくりも課題となってきそうだ。(鎌)
<書籍データ> 『「在宅ホスピス」という仕組み』 山崎章郎著(新潮選書1300円+税)