●家族が年金をアテにすることを非難で済ましてよいのか 


 前回、公的医療保険医療費の増嵩を危ぶむ政府やエコノミストなどが、主に寝たきり医療への批判を強め、「尊厳死」の名のもとに、いわゆる「無益な長生き」は反社会的であるかのような印象でキャンペーン化している状況を示した。こうした思潮構造の流れを背景に、今後の医療費改定は延命医療削減を誘導することは間違いないとも指摘した。たぶん、一部のエコノミストや政府機関には、それは当然のことだとの反発もあるだろう。果たして、それで短絡に納得していいのだろうか。 


 また、団塊世代が後期高齢者になる2025年を前に、尊厳死が法制化されるだろうとの予測も示した。最大の医療費喰い虫とみなされている団塊世代は、その塊ゆえに、死生観も同調圧力の中で医療費調整の役割を担わされることになるとも。団塊世代は、所得の急増時代にはベースアップの調整役となり、さらに年金でも不安定な雇用政策の中で支給開始年齢の調整弁となった。そして最期の医療も、在宅や高齢者施設で延命医療とは無縁の世界で自分の生と向き合うことを余儀なくされる。  反延命医療ビジネス、終活ビジネスの状況にレポートを進める前に、こうした思潮を当然のように拡大したのは何かをまとめておきたい。


 ●ガイドラインによる誘導


  平均寿命世界一を寿ぐ時代から、「尊厳死」という名の終末期医療への時代認識の切り替えを、具体的に明瞭に宣言したのは、2007年9月に政府が作成した「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」だ。2014年には「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」に改称された。07年版と14年版の違いは、「終末期医療」と「人生の最終段階」という表現だ。


  いかにも、直接的な物言いを避けた、あるいはマイルドにしたという印象が伝わるが、「終末期医療」が緩和医療ステージに入った医療行為の具体性を帯びているのに対し、「人生の最終段階」は、さらに幅広く「最期」の範囲を拡大し、「尊厳死」に関する自己決定権を誘導する方向、そして「尊厳死」を何らかの形で法制化させる滑走路を造ったことが判然としてくる。リビングウィルを用意しなければ常識人ではないという世論誘導が、7年間であからさまになったという印象が伝わる。結論を急げば、「どんな状態になっても生にしがみつく」場合は自己責任でやっていただく、という公的医療制度の改正方向が暗示されていると読み通せる。  同ガイドラインを改めてまとめておこう。 


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【策定の背景】 


●06年3月に富山県射水市民病院における人工呼吸器取り外し事件が報道され、「尊厳死」のルール化の議論が活発化。


 ●07年、厚生労働省に、「終末期医療の決定プロセスのあり方に関する検討会」を設置し、回復の見込みのない末期状態の患者に対する意思確認の方法や医療内容の決定手続きなどについての標準的な考え方を整理することとした。 


●パブリックコメントや、検討会での議論を踏まえ、07年5月にガイドラインをとりまとめた(14年度に改称)。 


【ガイドラインの概要】


 (1)人生の最終段階における医療及びケアのあり方 


●医療従事者から適切な情報の提供と説明がなされたうえで、患者が医療従事者と話し合いを行い、患者本人による決定を基本として終末期医療を進めることが重要。 ●人生の最終段階における医療の内容は、多専門職種からなる医療・ケアチームにより、医学的妥当性と適切性を基に慎重に判断する。 


(2)人生の最終段階における医療及びケアの方針の決定手続き


●患者の意思が確認できる場合には、患者と医療従事者とが十分な話し合いを行い、患者が意思決定を行い、その内容を文書にまとめておく。説明は、時間の経過、病状の変化、医学的評価の変更に応じてその都度行う。


 ●患者の意思が確認できない場合には、家族が患者の意思を推定できる場合には、その推定意思を尊重し、患者にとっての最善の治療方針をとることを基本とする。


 ●患者・医療従事者間で妥当で適切な医療内容について合意が得られない場合には、複数の専門家からなる委員会を設置し、治療方針の検討及び助言を行うことが必要。 


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 このガイドラインで重要なのは、概要部分で、「患者の意思決定」→「家族の患者意思の推定」→「複数の専門家による検討」と3段階の道筋がつけられていることだ。14年段階でこうした道筋について、本当の国民的論議を経て行われたのか、筆者には疑問に思える。むろん、パブリックコメントもとっており、コンセンサスを図ったという説明をされることは予測できるが、3段階を意地悪く見れば、患者の意思がなくても、家族の意思推定がなくても、専門家の判断ができると読み取れる。こうした意味を理解した国民的合意を得たとするのは、強引な印象が強い。


  厚生労働省は当該ガイドラインを策定する前に、13年3月に意思表示の書面等に関するアンケート調査を実施している。それによると、医療の最終段階における医療について、書面を予め作成しておくことへの賛否は69.7%が賛成としているものの、家族と話し合ったかどうかは「詳しく話し合った」はわずか2.8%で、「一応話し合った」39.4%であり、この時点では理念は理解しても具体的な行動には向かっていないことがわかる。実際に書面を作成している人は3.2%しかいない。


  一方で事前指示書の法制化については、一般国民は22.2%の支持にとどまり、医師は16.3%と医療従事者の中では最も低い。臨床現場での実際は「書面」の扱いが非常にナーバスな局面を迎えることが認識されているとみるべきだろう。


  こうした状況をみれば、14年のガイドラインは多分に様子見のような景色も見えるが、行政が法制化に進んでいきたい意図は明確に理解できる。そして、これは団塊世代が後期高齢者となる2025年までに急ピッチで展開していくと予見できる。


  在宅医療を担い、在宅看取りの経験の豊富な医師の複数からは、専門家による判断に至るまでは難しい選択が山積することを指摘するケースも多い。とくに課題として浮上するのは、「最終段階の医療」で、あくまで患者が生き続けることを求める家族が少なくないことだ。施設などでの医療・ケアの体制が厚くなると、介護に関する家族負担は軽減する方向にあり、それはそれで好ましいと言えるが、当事者の患者である高齢者が得ている年金が家族の大きな収入源となっていることが増えた。


  現在の雇用環境や患者家族自体の高齢化状況を踏まえると、高齢家族の年金に依存する現実は、単純な非難で済む話ではないと筆者は考える。遺される家族のセーフティネットをどう考えるかを並行して検討する論議も必要で、年金をアテにする家族をバッシングするだけでは問題は解決しない。こうした議論を置き去りにしたまま、終活への同調圧力が進むことが本当にいい結果を残すのか。(幸)