「忖度」という言葉がずいぶん話題になった。森友学園問題に絡み、安倍晋三首相夫人の昭恵さんの名前が登場したことで、財務省が首相の意向を忖度して国民の財産である国有地を「特例の貸し付け」にしたり、「大幅値引きで売却」したのではないか、という具合だ。首相も財務省も「指示」も「忖度」もないと否定。売却は正常に行われたという説明に固執する。


 だが、これは正常でもなければ、忖度でもない。完全に圧力である。民間会社を考えてもわかる。取引先の会社なり、取材先なりで相手が自社の社長夫人の名前が載っている書類を出してきたら、心の中で「バカ夫人めっ!」と罵りながら相手の言うことを呑まざるを得ない。社長夫人が寝床の中で「うちのあの社員は役に立たないわ」とか、「あの会社の面倒を見てよ。嫌なら身体に触らないで」なんて社長に“直訴”するかもしれないのだ。


  これと逆のこともある。社長夫人に気に入れられたら仕事はスムーズに運ぶし、出世も望める。昔から「竈が大事」という言葉がある。森友学園問題では当初から昭恵夫人が「名誉校長」として名前が出ているばかりか、財務省との交渉でも昭恵夫人の名前がたびたび出てきたことは最早、忖度の域ではなく無言の圧力に他ならない。


  さらに、昭恵夫人付きの経済産業省から出向職員、谷査恵子氏が森友学園の籠池泰典理事長の依頼を受けて財務省に照会していたことも問題になった。財務省は谷氏の照会に対し、田村嘉啓・国有財産審理室長が書類を携えて説明している。これも忖度があったのではないか、とされている。


  冗談じゃない。首相夫人付きの職員が照会すること自体が圧力なのである。もし一般国民が、経産省の職員を通して財務省に照会してもらったら、財務省から担当課長クラスが説明に来るのだろうか。照会が「首相付き」とあるから、理財局が説明したのである。ただ「谷査恵子」と言っただけだったら、財務省は相手にしないだろう。むしろ、「経産省の人間が財務省の仕事に首を突っ込むな。余計なお世話だ」と反発したはずだ。「首相付き」という肩書きが圧力なのである。 


 問題は谷氏の行動にある。こうした場合、どうすべきなのか。


  実は某出版社に勤めていた私にも似たような経験がある。知人から「本を出したいという人がいるんだけど、原稿を読んでみて出版部に紹介してくれないか」という電話が来た。原稿はちらっと見ただけだが、著者の経歴が面白かったので出版部の友人に見てもらった。出版部では異色の経歴の人物であることと、中身がカジノの話だったことに興味を持ち、新書で出すことになったが、しばらくすると、著者から「担当のK氏によると、出版は5ヵ月先を予定しているというのだが、本当に出版するのか聞いてみてくれ」と言ってきた。 


 森友学園の依頼とほぼ同じである。その時、「折を見て聞いてみますが、K氏は以前面倒な仕事にも嫌な顔をせず、いい仕事をしてくれた人だから、彼の言うことを信用していいですよ」と答えた。後輩のK氏に問い合わせたら、圧力になるからあえて電話もしなかった。その後、たまたまK氏と道で会った時、K氏は出版の順番で数ヵ月後になる予定と言った。


  私は、「あの原稿は学術論文みたいで退屈だったから、数枚読んだだけで君のほうに渡したんだ。読みやすくしないと難しすぎるのではないか」と言うと、K氏は笑いながら「実はそうなんです。今、かなりリライトしている。それもあって出版が少々遅くなるんです」と明かしてくれた。むろん、そんな会話は著者には話していない。新書は数ヵ月後に出版され私もホッとした。


  では、谷氏はどう扱うべきだったのか。理財局に照会してはいけないのである。籠池理事長に「財務省の理財局はしっかりしたところですから、信頼してご相談すれば大丈夫ですよ。もし、理財局から問い合わせがあったら、籠池理事長がどういう人か説明しますよ」と、丁重に断るべきなのである。理財局に「首相夫人付き」の肩書きで照会したら、それだけで圧力であり、首相が関わった証拠になるのだ。


  それにしても民間では心がけることをノンキャリとはいえ、東大出の頭のよい官僚がどうしてできないのだろう。バカ官僚というしかない。(常)