国会のモリカケ追及が中途半端な形で停滞するせいもあるのだろう。今週の各誌にインパクトのある記事は見当たらない。そんななか、週刊ポストに載った見開き2ページの記事、『「最後のかくれキリシタンの島」はなぜ新世界遺産から“消された”のか』という読み物に目が留まった。
筆者は6月に『消された信仰』という小学館ノンフィクション大賞受賞作を刊行するフリージャーナリスト・広野真嗣氏。言わば新刊の発売に先駆けたパブ記事だが、長崎・天草の世界遺産内定のタイミングとも重なって興味深い記事になっていた。
それによれば、長崎県平戸市の生月島はその昔、イエズス会が最初に住民の一斉改宗を行った土地であり、現在もなお、「まとまった規模の組織的信仰」を続けている「唯一の島」だという。にもかかわらず、日本が世界遺産に申請し、ユネスコの諮問機関が「登録が適当」と答申した「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を構成する計12の構成資産から、生月島は外された。
禁教をかいくぐり、信徒自身の手で教えを受け継いだ長い歳月は、宗教儀式の姿を徐々に変え、仏教や神道の要素も含まれるようになった。その結果、明治期に他地域のかくれキリシタンがカトリックに回帰したなかで、独自性を貫いた生月の信仰は、カトリック系の研究者らによって「もはやキリスト教ではない土俗信仰」とレッテルを貼られてしまったという。 しかし、筆者によれば生月の信仰には紛れもなく16世紀のカトリックの儀式が残されているらしい。ヨーロッパ的な見方にのみ寄り添ってこれを除外した判断に《世界遺産が本当に大切なものを評価したといえるのか、問い直さなくてはならないと思う》と広野氏は疑問を呈している。
それにしても、1~2週間の短期取材でまとめた一般記事よりも、重厚なノンフィクションを目指すプロセスから誕生した記事はやはり読み応えがある。書籍へと読者を誘導するパブ記事ではあっても、もう少しページを割き、長い分量で読ませてほしかった。
今回の世界遺産内定の報道をネットで見たときには、そこにぶら下がるネガティブな書き込み(ヤフーコメントの書き込み)の多さにうんざりした。曰く、キリスト教の伝播はスペイン・ポルトガルによる植民地拡大と表裏一体で、南蛮貿易では日本人奴隷の売買も行われた。ゆえに豊臣秀吉によるキリスト教禁教は正しく、かくれキリシタンを持ち上げるような世界遺産登録はけしからん、というのである。集団的なネット工作なのだろうか、似た内容の記述ばかり、コメント欄にはずらりと並んでいた。
戦国時代の話にまで「愛国的か否か」という子供じみた物差しを持ち込んで、正邪を訴える。ネトウヨの活動はこんな分野にまで広がりを見せている。ならば、コロンブス以後の新大陸諸国を彼らは認めていないのか。“愛国原理主義者”たちの暴論・珍論には、毎度のことながらゲンナリする。
文春で始まった新連載『ロッキード』(真山仁氏)と『ストーカーとの七百日戦争』(内澤旬子氏)に前回、言及した。気がつけば週刊現代でも、元読売新聞記者・清武英利氏による『トッカイ 不良債権特別回収部 バブルの「しんがり」たち』というノンフィクション連載が始まっていた。繰り返しになるが、やはり読み応えのある記事は、掘り下げた記事なのだ。雑誌媒体でのノンフィクションの広がりを期待したい。
……………………………………………………………… 三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。