安倍首相はまだ、強運から見放されてはいないようだ。財務省で唐突に“見つかった”膨大な森友関係文書の国会提出を、陸自日報問題の調査報告と同じ日にぶつけ、「働き方改革」関連法案の強行採決もその直後に行うなど、マスコミの猛攻が予期されるスケジュールをひとまとめに乗り切ろうとしたところ、何のことはない。今週のテレビ報道は日大アメフト部の悪質タックル問題で塗り潰され、ヤマ場入りをした政権スキャンダルをすっかり霞ませてしまった。 


 それでも、日大の問題がマンガチックほど強烈な悪役に恵まれたことは間違いない。これほどまで“全国民の敵”となった人物は近年、珍しい。どんなに逆風を受けようとも、自らの権力を死守せんと、白々しい強弁を崩さない。そのふてぶてしい厚顔さが、人々の怒りをまたかき立てる。


  言わずもがなの説明だが、あの内田正人・前日大アメフト部監督について話している。限りなくクロに近い立場にありながら、権力をかさに着て強弁を押し通し、責任を“下の者”になすりつける。そんな「物語の骨格」は、一連の政権スキャンダルと同じなのに、政権の問題では、“悪代官役”を必死に擁護しようとする人たちがいる。国民感情のそんな違いも興味深い。


  今週の文春は、この日大の問題でインパクトある音声データをスクープした。『悪質タックル指示の決定的証拠を公開 日大アメフト内田監督 「14分の自供テープ」』である。問題の試合直後、スポーツ記者たちに囲まれて、「内田がやれって言ったって(記事に書いても)ホントにいいですよ」などと開き直っている。先日の会見では無理やりに誤魔化したが、ネットに公開されている音源を聞けば、その黒白は明らかだ。


  ただこの録音でひとつ気になったのは、内田氏を取り巻く記者たちのおもねるような笑いが聞こえていたことだ。「あれはひどかったですよ」と、おずおず語る声も聞かれたが、全体としては、極めてなごやかな雰囲気のなか、内田氏が得々と暴論・妄言を語っている姿が目に浮かぶ。


  政治記者の会見、囲み取材では、こういったシーンをよく目にする。古い話では19年前、埼玉県本庄市の保険金殺人事件で、八木茂死刑囚が逮捕前、記者たちを集めて開いていた「有料記者会見」においても、そんな態度をとる記者がいたことを覚えている。


  取材相手の機嫌を損ねたらおしまい、という強迫観念が、この手の記者にはあるのだろう。だが、違う。どの記者も記事を書く際には、上司のデスクに手を入れられる。おもねった記事を書きたくても、デスクの命令で正反対の「糾弾調」に直される可能性はある。目の前にいたときは、へこへこと相槌を打っていたのに、実際に出た記事では、自分をボロクソに叩いている。相手にしてみれば、そんなケースのほうがよっぽど不愉快だし、騙された気がするに違いない。


  けんか腰になることはないけれども、追従する必要もない。そもそも記者が期待するほどのメリットは、ないのである。むしろ侮られてしまうのが、関の山だ。相手には相手の事情があり、“書かせたい記事”を考えているのである。結局のところ“親しくなってネタをもらうスタンス”は往々にして、しがらみにがんじがらめとなり、最後には御用記者、ベッタリ記者になるだけだ。ただし、最近のメディア事情を見ていると、もしかしたら近頃はそれをめざす記者たちもいるのかもしれない、と疑念が湧く。何とも悲しい話である。


……………………………………………………………… 三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。