当園では今年はウンシュウミカンの花がとりわけたくさん咲いた。正直なところ、園に漂うにおいから開花に気づき、木を見上げてびっくりした、次第である。ミカンの白い可憐な花は見た目よりはにおいで存在を主張する。これから冬まで実が膨らみ、充実していく。
このウンシュウミカンの或るパーツを生薬として利用するのだが、ご存知だろうか。植物性の生薬の使用部位というと、根や樹皮を想像される方が多いと思うが、ウンシュウミカンの場合は、果実の皮、である。つまり、冬に食するみかんの廃棄部位が生薬になるのである。
ウンシュウミカンの皮由来の生薬は陳皮(チンピ)と称し、補中益気湯、六君子湯、香蘇散など各種の漢方処方に配合され、鎮咳、健胃作用などが期待される。陳皮の陳は古いという意味を表しており、生薬の中でも長期間保存した古いものの方が薬としてはより良いものであると言われている。古い方が良いとされる生薬は他にもいくつかあり、逆に新しいものを使うべしとされる生薬と合わせて、六陳八新(リクチンハッシン)と称したりする。
生薬で古いものが好まれる場合、その理由は、一説には、長期保存の間に副作用の原因になる成分や発現して欲しくない作用がある成分等が変化したり分解されたりして少なくなり、使い易くなるからだ、と考えられている。 最近、柑橘類に関する話題で、陳皮は六陳のひとつだったよな、ということをふと思ってしまった事象があった。体重を減らすことを目的としたサプリメントやいわゆる健康食品として、ダイダイやオレンジの皮の濃縮エキスや粉末、またそれらを配合したものが流行している(していた?)らしいというのである。 これらが痩身効果を標榜する理由は、多くの柑橘類の果皮にはシネフリンという化合物が含まれており、この成分の構造が嘗てアメリカなどで痩身目的のサプリメントとして流行したエフェドラに含まれるエフェドリンに似ているため、らしい。エフェドリンは鎮咳や解熱効果が期待される医薬品であり、これを多く含む生薬の麻黄(マオウ)は日本では食品に含まれていてはならない専ら医薬品成分本質である。中枢神経興奮作用があるため、多量に摂取すると当然ながら深刻な健康被害が生じる。多くの健康被害事例が発生したアメリカでは、現在ではエフェドラは厳しく規制される対象になっている。 シネフリンは構造を見ると確かにエフェドリンに似ている。しかし、痩身効果が期待できるわけではないし、オレンジピール濃縮エキスなどを多量に摂取した場合に健康被害事例が多数報告されていることもあり、要注意の成分であるといえよう。日常的にマーマレードなどで摂取するダイダイの皮の分量なら問題はないと考えられるが、人為的に濃縮したエキスを含むサプリメントやいわゆる健康食品などは安全性の観点からはお勧めできないものである。
左エフェドリン右シネフリン 柑橘類果実を基原とする生薬には、陳皮の他にもダイダイやナツミカンの未熟果実をそのまま使う枳実(キジツ)などもあるのだが、実は枳実も六陳のひとつである。さらに、エフェドリンを含む麻黄も六陳に数えられる。シネフリンの好ましくない作用を考えた時、長期保存した生薬の方がよろしいという古来の言い伝えは、シネフリンの含量が少なくなった長期保存生薬の方が、漢方薬として処方する際には好ましいということ、だったのかもしれない。 生薬は経験値を安全性と有効性の担保とする医薬品であるということができると思うが、その先人たちの積み上げた経験値の奥深さを改めて感じてしまう、そんなエピソードだと思った次第である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 伊藤美千穂(いとうみちほ) 1969年大阪生まれ。京都大学大学院薬学研究科准教授。専門は生薬学・薬用植物学。18歳で京都大学に入学して以来、1年弱の米国留学期間を除けばずっと京都大学にいるが、研究手法のひとつにフィールドワークをとりいれており、途上国から先進国まで海外経験は豊富。大学での教育・研究の傍ら厚生労働省、内閣府やPMDAの各種委員、日本学術会議連携会員としての活動、WHOやISOの国際会議出席なども多い。