●「医療の質」追求が生んだ延命医療
「医療の大量消費時代」の連載は3部までで、前回で一応のピリオドを打った。後半には終末期医療や終活、そのビジネスの展開も論じた。ただ、筆者にはまだ「終末期医療」という言葉と、その社会的対応にまだ違和感がある。どうにも自らが消化しきれていない。適切な議論が尽くされているのか、と問いかけてはきたが、どうあるべきかについて筆者自身には折り合いがついていない。むろん、終末期医療についての時代の決着は、団塊世代が後期高齢者となる2025年以降に、その姿を明確化させるのだろう。しかし、その前に論じるべき点はやはり少なくないはずだという思いは大きい。
今回から2回にわたって、付論として、終末期医療に関するいくつかのレポートや政府施策、アカデミアの発信などをまとめておきたい。ある意味、このテーマの資料集的なニュアンスで考えていく。とはいえ、終末期医療や終活に関する資料は、実はすでに膨大なボリュームになっていると推定する。またビジネス分析では、エビデンスに基づいたレポートもすでに存在する。
ここでは、そこまでに言及する能力はないので、筆者がインパクトを受けた、あるいは関心を持ったものだけに偏っていることは率直に示しておきたい。いくつか本編で述べてきたことの繰り返しがあるかもしれないが、この稿は終末期医療に関する「小括」であることの理解を求めたい。
●日本老年医学会の「立場表明」
終末期医療に対する一定の認識をアカデミア側から示したのは、2001年の日本老年医学会の立場表明だ。当時、この表明は終末期医療に際しては、論議そのものがアカデミズムではややタブー視される傾向があった状況をみると、相当に思い切った提案だったとみる。ただ、そのインパクトを恐れてか、当時の学界もメディアもこの表明には、かなり冷淡な姿勢をとったとの印象を筆者は受けた。
また、現在の地平から見ると、この表明そのものは患者の人権や医療技術の未熟さ、さらに社会的コンセンサスそのものが得られていない状況を反映して、どちらかといえば論議の本格化を期待する、あるいは促すという意味が強く打ち出されたというべきだ。
この頃、延命医療の現場では、胃ろう・経管栄養などといった具体的な延命技術に関連しては、医療者の関心が患者の「嗜眠」にどう対応すべきかに集まっていたことも理解しておく必要がある。その意味では、患者の意思が不明な場合の家族の「希望」と「代弁」の違いに注意を払いつつ、いわば「第三者」がどのような判断を行うかのルール作りを求めているニュアンスが大きい。
この「立場表明」は2012年に改訂された。そこでは、すべての人は最善の医療及びケアを受ける権利があり、保障されなければならないとの前提をおきつつ、「胃ろう増設を含む経管栄養、人工呼吸器装着などの適応は、慎重に検討されるべきである。すなわち、何らかの治療が、患者本人の尊厳を損なったり苦痛を増大させたりする可能性があるときには、治療の差し控えや治療からの撤退も選択肢として考慮する必要がある」と述べている。
議論すべき具体的な医療行為として、胃ろう、経管栄養、人工呼吸器など具体的な内容が挟まれた。つまり、10年間で終末期医療については、社会的議論がかなりの速度で進み、「寝たきり」の状態を指す「嗜眠」をどうするかが問題ではなく、嗜眠を維持する行為そのものの「選択」の環境整備に議論が移ったと解釈できる。 01年の立場表明が、筆者からみれば相当に遠慮がちに映るのは、そうした社会的背景もあるが、当時は大きな医療安全上の事件が相次ぎ、医療不信の真ん中にあったことも理解しておかなければならない。
だが、その前後のいくつかの大きな医療事故・事件をみると、過誤ではなく、医療者による患者の安楽死や尊厳死に関しては、世論はそのレベルを峻別し始めている流れもある。「終末期医療」はそうした事件事故を通じて、国民に一定のメッセージを投げかけてきた。
01年当時の老年医学会は、終末期を「病状が不可逆的でかつ進行性で、その時代に可能な最善の治療により好転や進行の阻止が期待できなくなり、近い将来の死が不可避となった状態」と定義している。この定義は12年改定版でも維持されており、10年間で「終末期」の理解は進んだとみていい。だが、それを医療にどう反映するかは別問題だ。
●射水市民病院事件のインパクト
しかし「立場表明」以降、医療への反映を試みる動きは加速した。最も大きなインパクトは厚生労働省が07年に「終末期医療の決定プロセスのあり方に関する検討会」を設置し、同年にガイドラインが策定されたことだろう。これによって、具体的な医療への反映への道筋がつけられ、社会的コンセンサスへの道標が見えたといっていいかもしれない。(なお、厚労省ガイドラインについては次回、詳細にみる)。
厚労省以外では、06年に日本集中医療学会が「集中医療における重症患者の末期医療のあり方についての勧告」を出したほか、日本救急医療学会「救急医療における終末期の医療に関するガイドライン」(07年)、全日本病院協会「終末期医療の指針」(07年)、日本医師会生命倫理懇談会答申「終末期医療に関するガイドライン」(08年)、日本学術会議「終末期医療のあり方について~亜急性型の終末期について~」(08年)と相次ぐ。
06年以降に厚労省を含め、こうした指針、ガイドラインが集中的に作られたのは、06年3月におきた富山県射水市民病院における人工呼吸器取り外し事件が濃厚に影響したことは間違いない。厚労省も07年検討会設置に際して、同事件を契機に尊厳死のルール化の議論が活発化していることが設置の動機になっているとの認識を明確化している。
射水市民病院事件は当初、メディアはややネガティブな印象で報じたが、その後、判断を下した医療者を擁護するような論調に転じている。メディアの医療関連の事件報道を鵜呑みにするスタンスは筆者にはないが、医療関連の報道に「思い込み」が排されるような認識が浸透したのは、射水病院事件が決定的な動機を与えたような印象がある。
産婦人科関連でも、大野病院事件はメディアの評価は曖昧な姿勢だし、奈良の“妊婦たらい回し”では、妊婦側の状況が明確になるにしたがって、報道はトーンダウンした。とくに、尊厳死関連の報道は、完全に「事件」との認識はメディアに薄れた。そのうち、尊厳死を認めない医療者の対応が「事件」になる可能性が予想できる。
01年の日本老年医学会の立場表明は、尊厳死に関する課題提起というインパクトは医療界にはもたらしたが、これが具体的なガイドライン策定などに至るまでには5年ほどを要している。そして実効的な背中を押す役割を果たしたのが射水市民病院事件だ。
しかし、そこに至るまでは、医療機関サイドの翻弄されてきた医療政策への対応があることも記憶にとどめるべきである。90年代には、医療不信の中で「医療の質」が問われた。そのなかで、入院高齢患者の低栄養が問題となり、病院には栄養サポートチームが組織されることがブームになった。あるいは廃用症候群も医療者の問題意識としてクローズアップされ、「寝たきり」を避ける工夫が求められた。診療報酬でもこうした対応が一部評価されることも後押ししたし、7対1看護やDPCの導入で、患者の早期退院が経営戦略の柱となるなかで、胃ろうや経管栄養が医療機関のツールとして浸透したことは理解すべきだ。
次回は、厚労省ガイドライン、射水市民病院を振り返りつつ、国民に終末期医療、尊厳死の概念が定着しつつあるかを資料的に配置してみる。(幸)