週刊新潮の記事『今どき100兆円 「山下財宝」発掘に狩り出された理由 逮捕の「15歳少年」が激白!』を見て、遠い日のほろ苦い記憶が蘇った。今から30年ほど前、私自身、この噂を信じそうになったことがあるからだ。いや、見苦しさを承知で言い訳をするならば、「おそらくヨタ話」と、おおよそ8対2で眉唾に思っていたのだが、それでも1~2割、「もしかしたら……」という気持ちを抱いてしまったのだ。


  第2次大戦末期、フィリピンの山中を敗走する山下奉文大将麾下の旧日本軍が、アジア各国で奪った金銀財宝を、山中奥深く埋蔵した、というお話。私が聞かされた“噂”は、ストレートな財宝伝説とは少し違っていた。小野田さんや横井さんのような高齢の「残留日本兵」がフィリピンにまだ複数残っている、という話で、その解説として、老兵らは山下財宝が盗掘されないよう山奥で見張っている、という理由づけがされていた。


  ボランティアで少数民族支援などを続けていた日本人弁護士から、この話を聞かされ、当時、全国紙の記者だった私は夏休みを利用してフィリピンまで同行することにした(新聞社の取材でなく私的な自費取材、という点に、ある程度“眉唾感”を持っていたことを読み取ってほしい)。結論は、99.9%間違いないホラ話。現地に案内してくれるはずの地元情報提供者は約束の日に現れず、探索の話はそれっきりという、大マヌケな結末に終わった。


  それでも、私を現地に誘ったのは、それなりに知名度のある弁護士であったし、現場にはマニラ在住の大手メディア特派員も待ち構えていた。この伝説はそんな具合に戦後70年、手を変え品を変え蘇り、多くの日本人を巻き込んできたのである。


  新潮の記事によれば、今回の事件は、日本人男性3人と通訳に雇われた日比ハーフの少年が、違法な採掘や破壊行為を禁じた町条例に違反した容疑で逮捕された、という話だ。《マレーの虎からマネーの虎へ。山下刑死から70余年を経ても俗人を狂わせて止まないのである》。記事の辛辣な結語を見て、遠い日の徒労感と羞恥が生々しく蘇った。


  今週は各誌とも“紀州のドンファン怪死事件”がメインである。日大危険タックル問題の次はこの話題。連日ワイドショーはこれ一色の状態だが、この手のニュースがなぜ、人々の関心を集めるのか、今ひとつ、そのへんの感覚が私にはわからない。70代になる大富豪の“ドンファン”と、うら若き未亡人。致死量をはるかに上回る覚醒剤を被害者に摂取させたのは誰なのか……。ワイドショーなどではもはや、未亡人本人に遠慮会釈なく「あなたがやったのでは?」と問いかけている。


  真相はそういうことなのか、それとも違うのか。あとは捜査の行方を待つ以外、ほとんど動かない話なのに、なぜ視聴者は毎日、“ミリ単位の進展”を延々見ていられるのか。有名人の麻薬事件などでもしばしば感じるが、“謎解き”や“新展開”のない“静止画像のような報道”に、人々はなぜ飽きないのか、不可思議でならない。


  日大の問題も正直もう、お腹いっぱいだ。こちらは日本一のマンモス大学の“組織と権力”にかかわる話だけに、その最深部にメスを入れる動きにはスリリングな醍醐味がある。だが改めて振り返れば、ことは学生スポーツでの反則プレーである。生命にかかわる重大事故だったわけでもない。話を広げるにも限界があるように思えるのだ。今週の週刊文春では、日大芸術学部卒業の林真理子と、日芸中退の宮藤官九郎が自らの連載コラムで“とばっちり”を嘆いていて、そのタイミングの一致がおかしかった。 


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。