愛に生き恋の炎に身を任せ……お上品な恋愛物語に仕上げるか、それともエロチックな耽美物語に練り上げるか。作者・読者の趣味趣向から離れて、王朝歌人・伊勢(生没推定872〜938年)は「恋の最強トライアングル秘法」を発見した女性である。
 

 女学生が大好きな「恋愛必勝法」なんて軽いレベルではない。シェークスピアだってルソーだって、カルメンだってエマニュエルだって、伊勢の「恋の最強トライアングル秘法」の前には沈黙せざるを得ない。あまりの最強秘法ゆえに封印されてしまったようだ。
 

 とりあえず、伊勢の一般的知識を。
 

 三十六歌仙(平安時代の和歌の名人)のひとりで、『古今和歌集』に22首が入集され女流歌人では最多である。古今集は、現代国文学では、古いほうから「詠人しらず時代」「六歌仙時代」「選者時代」に分類される。日本史上最高の美女・小野小町は六歌仙のひとりなので六歌仙時代、伊勢は選者時代である。時代が異なるので比較する意義は薄いが、古今集には小野小町の和歌は17首で第2位の数を誇る。
 

 古今集選者時代のトップ歌人は、紀貫之(生没推定866〜945年)だが、伊勢は紀貫之と並び称される古今集選者時代の代表的歌人である。その歌は、ご推察どおり、情熱的恋歌である。
 

 小倉百人一首の19番にも伊勢の歌がある。
 

難波潟 みじかき芦の ふしの間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや(古今集)
 

「芦の節と節の間はとても短いですわね。とても短い時間ですら逢えないで一生を過ごしてしまえと言うのですか」といった意味で、「逢いたいわ、逢いたいわ、ほんの束の間でもよいから逢いたいわ」と激しく愛を叫ぶ伊勢であります。
 

 もう一首。
 

春霞 たつを見すてて ゆく雁は 花なき里に 住みやならへる(古今集)
 

 直訳するなら「春霞が立つのを見捨ててゆく雁は、花のない里に住み慣れているだろうか」と自然情景を歌っている。でも、王朝時代は男性が女性宅を訪ねる風習だ。したがって、この歌には昼間来た男性に「お泊りあそばれては……」と妖艶な誘いが込められている。
 

 一般教養を終了して、いよいよ伊勢の恋愛遍歴の入り口へ……。
 

 中流貴族の娘である伊勢は、第59代宇多天皇(867〜931年、在位887〜897年)の中宮・藤原温子(おんし)の女房として宮仕えする。温子の父は政界最大実力者である藤原基経(日本史上初の関白)である。
 

 伊勢の最初の恋愛は基経の次男の仲平で、現代風に言えば、大企業の実力大社長の次男坊と新入美人OLという感じ。伊勢も最初はネンネで「いやよ、いやよ」していたが、やっぱり口説き落とされて、熱烈恋愛関係に。しかし、よくあるパターンで、仲平は有力門閥の婿となり、伊勢は捨てられ、2人の関係は終了。実に、よくあるパターンであります。
 

 伊勢は傷ついた乙女心を癒すため旅に出る。これまた、実にオトメチックですな〜。しかし、旅先で何かがあった。何だろうか。伊勢は秘法を会得したのだ。旅から帰って宮仕えに復帰した彼女は、以前の純情一途な乙女ではなかった。
 

 さて、仲平は婿となったものの伊勢が忘れがたく再びアタック。当然、伊勢は「イヤヨ」の肘鉄砲。そんなことでは諦めない仲平である。そこへ、仲平の兄の時平が「弟なんかよりも俺のほうが」とラブレター攻勢。かくして、伊勢は貴公子兄弟を手玉に取って三角関係を楽しむのでありました。「恋の最強トライアングル秘法」が実行されたのである。
 

 この三角関係は次の三角関係の序章に過ぎなかった。藤原基経亡き後の藤原北家嫡男・藤原時平の最大政敵は菅原道真である。そして菅原道真の腹心に源敏相(としみ)がいた。伊勢が誘ったのか、源敏相が誘ったのか……、ここに伊勢を頂点とする政敵2人(藤原時平と源敏相)との危険な三角関係が成立し、伊勢は恋のテクニックで2人を翻弄するのであった。この三角関係は、菅原道真が大宰府に左遷され、源敏相も連座して、おしまい。
 

 当時の有名プレイボーイは平貞文(通称、平中)であり、平中も伊勢に求愛活動を仕掛けた。日本史上最高のプレイボーイは在原業平(『伊勢物語』の主人公)だが、業平は六歌仙のひとりであるように、一時代前の六歌仙時代の人物である。選者時代のプレイボーイは『平中物語』の主人公、平中だった。しかし、平中のテクニックは伊勢には通じなかった。とはいうものの、伊勢は平中とちょっとだけ遊んでいる。別れは、女の武器、涙、涙、涙の歌となっている。
 

 その頃の伊勢は「新たなる怪しいトライアングル」を築きつつあった。
 

 伊勢は宇多天皇と関係をもって皇子を出産した(幼少にて死去)。この頃、伊勢は中宮・温子とも、麗しい交情関係、言うならばレズにあったから、伊勢・宇多天皇・温子の怪しい三角関係に突入していた。怪しい三角関係は、さらに怪しく発展する。
 

 伊勢は宇多天皇が女御・胤子(いんし)に産ませた美貌の敦慶(あつよし)親王とも関係をもってしまう。そして、女子・中務(なかつかさ)を出産する。つまり、伊勢は親子(宇多法皇と敦慶親王)と三角関係を形成したのである。3人が揃って顔を合わせる機会もあるのだが、伊勢は得意の歌で2人を翻弄していたのであろう。
 

 三角関係は不安定とする説もあるが、伊勢はトライアングル秘法、すなわち、三角形の頂点に位置していれば決して傷つかない、という技を会得していたに違いない。トライアングル秘法をもって幾多の恋を遍歴し、優雅に天寿をまっとうしたから、伊勢こそは日本史最高の恋のマジシャンと言える。

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太田哲二(おおたてつじ)

中央大学法学部・大学院卒。杉並区議会議員を8期務める傍ら著述業をこなす。お金と福祉の勉強会代表。「世帯分離」で家計を守る(中央経済社)など著書多数。