歴史に名を残すような薬の誕生物語はいくつもあるが、創薬を体系的に、かつ一般向けにもわかりやすく記した書籍がこのたび登場した。『新薬の狩人たち』は、薬の歴史から、創薬・開発手法の進化の過程を細かなエピソードを交えつつ紹介する一冊だ。
これまでに発見されたなかで、最古の“応急処置薬”は、約5000年前に亡くなった男性が携帯していたキノコ(カンバタケ)。ヒトに寄生する鞭虫に対する虫下し薬の効果が期待されていたようだ。この時代から〈近代科学が誕生する前の新薬探索は、単純な試行錯誤によって進んできた〉。
それにしても、創成期の創薬の手法は荒っぽい。現代では実施ができないような“治験”もずいぶん行われていたようだ。初の麻酔薬は、歯科医が飼い犬やメンドリ、金魚で試して、自分で効果を確かめたのち、患者の抜歯で投与された。1846年のことである。
昔は、患者の同意を得ずに実施した治験も多かったようだ。なかにはきちんとした治験をせず世に出て、米国で100人を超える犠牲者を出したスルファニルアミド製剤もあった(この事件後に、現代のFDA(米国食品医薬品局)につながる法律ができる)。
大手製薬会社の起源とも言えるのが、米スクイブ(現米ブリストル・マイヤーズ スクイブ)。最初に〈薬でハリウッドの大ヒット作に相当するもの――多くの予算を投じ、世界中に販売される定型の製品――をつくり始めた〉。もっとも、ゼロベースで画期的新薬を開発したわけではなく、〈品質のより一貫した薬を製造することによって、ほかの業者に勝った〉という。 製薬会社がゼロから薬をつくるようになったのは、近代になってからのことだ。日本人の細菌学者、秦佐八郎氏も開発に関わり、独ヘキスト(現仏サノフィ)から1910年に発売された梅毒治療薬「サルバルサン」が嚆矢である。<サルバルサンの誕生は、科学や生物学の知識を慎重に応用することによって、新薬をゼロから設計して合成することが可能だということを示した〉。
結核の特効薬「ストレプトマイシン」に関連して、〈ノーベル賞受賞につながった発見は、「土壌ライブラリー」の門戸を開き、それを機に製薬企業が土壌ライブラリーに殺到した。何百人ものドラッグハンターが細菌を殺す新しい微生物が見つかることを期待して世界中の土を掘り起こし始め〉たという。〈抗菌薬研究の黄金時代〉である。
現在、製薬業界はバイオ全盛時代の様相を呈しているが、バイオの雄である米ジェネンテックの創業間もない時代の苦しい時代が本書に記されている。大手製薬会社からけんもほろろに提携を断られた過去もある。
■社会構造を変えた「ピル」
薬は社会や世界史を変えることもある。例えば、マラリアの特効薬「キニーネ」の登場により、〈マラリアが蔓延していた世界の各地が西洋人の植民地として開拓されるようになった〉。本書では〈現代文明の基本的な社会機構をなによりも変えた〉薬として「ピル」に1章を割いている。経口避妊薬にかけた素人の熱い思いは、前例のない薬を実現した。
本書は、製薬会社が表向きには触れたがらないような、歴史の負の側面や意外な事実に関連するエピソードもふんだんに盛り込んでいる。
例えば、100年以上売れ続ける薬として、現代も売れ続けている独バイエルの「アスピリン」の誕生秘話。上層部は「ヘロイン」の開発を優先しようとしたという(ヘロインは、事実と異なる広告をした点でも問題になった)。独メルクが製薬会社となった経緯も意外だ。「天使薬局」(エンゲル・アポテーケ)で1827年に始まった、モルヒネの商業生産が製薬会社としての急成長をけん引したという。
現代の製薬会社のトップは、しばしば「創薬は非常に難しい時代になった」と語る。しかし、本書を読めば、いつの時代も画期的な新薬を開発するのは難しかったことがよくわかる。上層部が理解してくれなかったり、医療界の権威に無視されたりと、今に通じる話は過去にもあった。
少々、古い薬の話が中心だが、製薬業界や創薬の本質を知るという意味では、普遍的な内容だ。随所にちりばめられたエピソードは、読み物としても非常に面白い。(鎌)
<書籍データ> 『新薬の狩人たち』 ドナルド・R・キルシュ著、寺町朋子訳(早川書房2000円+税)