東日本大震災をテーマにした芥川賞候補作の小説、北条裕子氏の『美しい顔』に登場する描写が、ノンフィクション作家・石井光太氏の『遺体』の表現に酷似している、として盗作疑惑が沸き起こっている。 


 ノンフィクション作品の場合、記された事実関係は客観的なものであり、その部分に著作権は及ばない。たとえば、田中角栄の評伝は山のように出版されているが、同じ人物の人生である以上、事実関係の大部分は他の著作とも重なり合う。


  ただ今回のケースでは、被災地の安置所に並ぶ遺体の外観を「蓑虫」にたとえるなど、筆者の主観的表現まで重なり合い、その点から剽窃が疑われている。同様の問題では以前、佐野眞一氏のノンフィクション作品でも、先行作品にある風景描写がそのまま何ヵ所も出て来ることが発覚し、批判されている。


  そんなことをふと、思ったのは今週、週刊新潮に『歴史発掘!「毛沢東暗殺謀議」で処刑された「日本人スパイ」 娘の告白』という5ページもの「特別読物」が載っていたからだ。終戦後、八路軍の北京入城が迫り、ほとんどの在留邦人が日本に引き揚げていったなか、現地に残っていた日本人とイタリア人がひとりずつ、「毛沢東を殺そうとした」という濡れ衣で中国共産党に銃殺された話だ。処刑された人物の次女は現在、首都圏で健在だ。


  実はこのストーリーは9年前、私自身が月刊『諸君!』に執筆した13ページの記事『まぼろしの「毛沢東=暗殺計画」の全貌』と同じだった。中国の新聞に半世紀前のこの事件が短く載ったことをきっかけに、当事者の次女を見つけ出し、「なぜ今さら」と渋っていた彼女を説得したうえで、何度となくその家に通った。国会図書館などでさまざまな古い資料を見つけ出し、数ヵ月がかりで書いた記事だった。


 今回の筆者は“中国通”のライターということで、その後、香港の刊行物に事件がでっち上げだったことを示唆する記述が現れたことに触れ、そのくだりだけは、新しい情報になっていたが、あとはみな、私が書いた記事にあることだった。


 もちろん、私もこの筆者も「同じ歴史的事実」を追ったわけだから、限られた証言者、資料のもと、内容はだいたい同じになる。文章表現の剽窃があるわけではない。ただ、たとえば私の2年後に同種の記事を書いた歴史家の秦郁彦氏は、文中で私の記事を引用し、参考文献にも明示するなどして、先行取材者に一定の配慮をしてくれた。私への電話取材もあった。


 別に今回の記事にクレームをつける意思はない。しかし、物書きも人それぞれ、その姿勢に人間性は現れるものだなぁ、と改めて感じた次第である。手間暇をかけ、苦労した取材だっただけに、せいぜい数日で書いたに違いない誌面を見て、器の小さい私には、割り切れない思いが込み上げてしまった。新潮社は『美しい顔』の問題で、石井作品の版元として講談社に抗議した会社でもある。


 麻原彰晃らオウム幹部の死刑執行を受け、同じ新潮には見事なスクープも載った。『「上祐」がひた隠し! 警察も知らない「麻原」の女性信者殺害』という記事だ。同じ特集『奈落に墜ちた「麻原彰晃」 「劇画宗教」30年の総括』の1本には、オウムが高学歴の若者をどのように洗脳していったか、そのテクニックを解説した記事もある。


 カルト宗教や極左セクトにはまり込む人は、どこか似た傾向がある気がする。複雑な人間社会の「真理」を把握したい。勧誘を受け、その答えと出会ったと錯覚した途端、盲目的になってしまうのだ。他の宗教、他の政治思想も学び、比較検討したうえでの判断ではない。ある種、出会いがしらの“覚醒”なのである。


 最近では、政治に無関心だった人が中高年になり、突如として「愛国者」に変貌するパターンもある。1冊のヘイト本、あるいはいかがわしいネット情報で「世の真理」と出会ったつもりになる。本当は、歯切れよく「真理」を語る者こそが疑わしいのだが、多種多様な読書で学んで来なかった人たちは、いとも簡単に引っかかってしまうのだ。 


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。