何度も聞かされていて、大きすぎる数字への感覚がマヒしてきた感もあるのだが、国民医療費は2025年度に現状の約1.4倍の57.8兆円になるとみられている(健康保険組合連合会による推計)。


  好況が続く2017年度の日本の税収が同程度。これから消費増税があるにしても、将来の医療費が、いかに巨額かイメージできるだろう。 


 もっとも、国民医療費の将来予測は、現状の医療制度や提供体制を前提としている。そもそも日本の医療が適正なのか?


 根本から考えるうえで、参考になるのが、『医療経済の嘘』である。


  著者は経済学を修めたうえで、医学部に入り医師となった森田洋之氏。経済学部出身者らしく統計データを駆使したマクロの視点と、財政破綻した北海道夕張市で医師として働いた現場の視点、双方から日本の医療を考察していく。


 海外との比較では、〈日本は突出したMRI大国。世界一MRIを持っています。/イギリスの7~8倍〉〈日本は人口あたりのCTの保有台数はダントツ〉〈日本は世界の中では突出して病床の多い国です。人口あたりで、イギリスやアメリカの4倍以上の病床を持っています〉といった実態が明らかにされる。


  一方で、〈MRIなどの医療機器や病院・病床などのハード面は世界一整っているのに、医師数は少ない。医師は少ないのに、医師への受診回数は世界第2位〉。 


 つまり、日本で行われている医療は、高額の医療機器や多数の入院施設を備えつつ、少ない医師が高稼働で働く医療なのだ。国民医療費が増え続けるなか、診療報酬は抑えられつつある。“薄利多売”の状況下で、赤字の病院が多発し、勤務医がブラック企業も顔負けなほど働かざるを得ない、疲弊した日本の医療提供体制の背景が見えてくる。


■病床が多いほど医療費も増える


 国民皆保険、フリーアクセスといった日本の医療制度からは、誰もが同じような医療を受けているイメージが沸くが、国内の地域別データを見ていくと実態は異なる。


  例えば、人口あたりの「胃ろう」の件数。沖縄県は熊本県の3倍以上の胃ろうが行われている。MRIの撮影件数も最大の北海道と最小の岩手県を比較すると約2.5倍の撮影が行われている(いずれも数値は、高齢化率を補正した結果である)。


  人口10万人あたりの病床数にも格差がある。最も多い高知県と最も少ない神奈川県では約3倍である。


  驚くべきは、1人あたり入院医療費が病床数と比例するように大きくなっている点だ。〈病床がある分だけ病人がつくられる〉とする見方も、あながち間違ってはいないだろう。ちなみに、〈各県の病床の多さと寿命は関係ない〉という結論もデータで示されている。


  世界一多い病床や医療機器を持ちながら、医療が地域によってバラバラに提供されている――。著者はこの状況を〈医療市場の失敗〉と指摘する。


  市場の失敗とは、経済学の世界で、市場メカニズムが働いた後でも、市場が最適な状態にならないことを指す。日本の医療では〈「質の悪い病因」が淘汰される世界ではなく、県民1人あたりの医療費が増える〉状態で、〈「経済学的に最適な状態=貴重な医療資源が全国民に適切な量だけ配分されている状態」とは言いにくい〉のだ。


  市場の失敗を回避し、どのような医療体制を築くかを考えるうえでヒントになるのは、著者が経験した夕張市の事例だ。財政破綻で病床数が171床から19床に減るなか、〈ほとんど健康被害はありませんでした。しかも高齢者1人あたりの診療費は下がった〉という。もちろん病床を削るだけでは、ダメだ。著者らの奮闘の詳細は本書に譲るが、地域社会やそこに住む人々、医療提供者の意識改革は不可欠になる。


  本書は〈過剰でも不足でもない医療〉とは何かを、あらためて考えさせられる一冊である。限られた財源のなかで実現できる、最適な医療の形がそこにありそうだ。(鎌)


 <書籍データ>医療経済の嘘』 森田洋之著(ポプラ新書800円+税)