「あの硬派な岩波新書がノウハウ本?」とタイトルが気になって『賢い患者』を手に取った。もちろん、そんなことはない。本書は1990年代から現在に至るまでの医療者や患者の意識の変化、医療をめぐる制度やルールの進化を俯瞰しつつ、病気や医療者との向き合い方を深く考えさせてくれる一冊である。


  著者は1990年に卵巣がんを患うが、その体験を通して描かれる1990年代初頭の医療や医療者の姿は現代とは隔世の感がある。


  例えば、抗がん剤。昨今はピンポイントに効く分子標的薬なども登場し、必ずしもひどい苦痛を伴わない治療も増えているが、〈当時の化学療法の副作用で強烈なのは、何といっても嘔吐です。現在のように強力な制吐剤(吐き気止め)はありませんでした〉〈私がこれまでの人生で唯一逃げ出したいと思ったのが化学療法でした〉という。


  より変わったのが医療だろう。今でも「素人にはわからないから、説明しない」という空気を漂わせる医師はいなくはないが、1990年代の初めはそれがスタンダードだった。


  当時、著者が病状の説明を求めた際に〈主治医は真っ青になって絶句し、(中略)(治療)方針を変更する理由を問うても、何ら納得できる説明は返ってきませんでした〉。〈一九九〇年当時の医療は閉鎖的で、すべての主導権は医師に〉あった。


 そこから10年を待たずにがんの告知は当たり前になる。同じ頃、薬害エイズ事件や医療ミスが顕在化したことで、〈患者の権利意識が高まり、不信感が芽生え始めた〉。


 医療への不信感は医療の安全対策や医療者の態度を変えていく。医療事故を〈「集中力が足りない」「うっかりしているから事故が起きるんだ」と個人的な問題ととらえるヒューマンエラーから、「人は誰でも間違える」「事故が起こりやすいシステムに問題がある」というシステムエラーへと考え方が変化〉したのは、非常に大きな変化だろう。現場の医療関係者と話していると、安全への強い意識を感じることも多い。


 医療者と患者の情報格差から不信感が生まれることは多々あるが、患者が自分の病気や治療を知ることに関する慣習や制度も大きく変わった。「セカンドオピニオン」「インフォームド・コンセント」も当たり前となった。2015年には、医療事故調査委制度も始まっている。


■患者目線で病院をチェック 


 著者が理事長を務める認定NPO法人COML(コムル)は、〈患者と医療者が対立するのではなく、“協働”する医療の実現〉を“願い”として掲げている。


 かつては、患者側に「お医者さんが言うのだから間違いない」という意識があった(私の両親は、今でもそう思っている)。 


 しかし、現在の医療は高度化し、急速に進む超高齢化を背景に医療機能の分化も始まっている。さまざまな情報が開示・公開されるようになった一方で、治療の選択肢が増え、患者が難しい判断を迫られることも多い。こうしたなか、納得感のある医療を受けるには、患者の側も〈賢い患者〉になる必要がある。


 近年、インターネットに情報は溢れかえっているが(怪しい情報も山ほどある)、賢い患者とは、もちろん、知識ばかりを詰め込んだ患者ではない。医療者の説明を理解する努力をし、自分自身で治療方法を決める、〈自立した“高い意識”を持った患者〉である。


 以前とは変わってきたとはいえ、医療者の側もさらなる変革が必要だ。患者の目線から、“虫の目”で改善点を指摘するCMOLのチェックポイントは、病院やクリニックの改善点を考えるうえで、非常に有用だろう。


 本書には、外回り、受付から、外来、検査室やそれぞれの導線まで、細かいチェックポイントが記されている。大病院でどこへ行っていいのかわからないという経験をした人は多いだろう。患者のプライバシーへの配慮など、毎日働いていると、案外、職場の欠点には気づかないものだ。  著者が“賢い患者”に求めるレベルは結構高い、というのが本書を読んだ正直な印象だ。しかし、第3章の「新 医者にかかる10箇条」や子ども向けの「いのちとからだの10か条」に記された「大事なことはメモをとって確認」「納得できないことは何度でも質問」といった条項は誰にでも実践できるものである。


 まずは自身や家族が医者にかかる際に、こうした基本に沿って質問したり、考えてみるのが、賢い患者への第一歩となるだろう。(鎌)


 <書籍データ>賢い患者』 山口育子著(岩波新書820円+税)