相変わらず沖縄問題を扱う保守系媒体の報道はひどい。母方のルーツを沖縄に持つ作家・佐藤優氏も9月1日付琉球新報のコラム「ウチナー評論」で、その苛立ちを綴っている。


《東京で発行されている保守系雑誌の翁長雄志知事に対する論評や、知事選挙の見通しに関する記事を読んでいると、著者や編集者の沖縄と沖縄人に対する偏見で気分が悪くなってくる》


《沖縄では革新が反基地で騒ぎ、保守が中央政府から助成金を取って丸く収めるとか、翁長氏は自民党県連幹部だったときには普天間飛行場の県内移設を容認していたが権力欲に取り付かれて変節し、辺野古新基地建設反対に転じたであるとか、尖閣問題を巡って中国を論難しないといった類の論理である》


  実際、同じ日本国内の事柄で、ここまで適当な言説がまかり通るテーマも数少ない。ろくすっぽ現地を知らぬ者が山のようにデタラメな文章を書きまくっている。週刊文春の匿名筆者コラム「新聞不信」も今週、『全国紙を出し抜いた沖縄タイムス』と題し的外れな主張を展開した。


  翁長氏が死の間際、自身の後継者2人の名を病床で指名、その“遺言”の録音音声によって後継者が玉城デニー氏に絞られた、という推論をベースにして8月22日付タイムス紙に『「本当にあるのか」翁長知事の音声、内容巡り波紋 後継指名で与野党に疑問』という記事が載った。コラム子は、この1本の記事に飛びついて、玉城氏擁立の“正当性”に疑問を投げかけたのである。


  そこまで書くのなら、多少でも周辺取材をし、続報にも当然、目配りすべきだろう。当該の新聞記事は誤報とまでは言えないが、不正確な伝聞が錯綜する混乱した状況下、ほんの一時的に発生した“空騒ぎ”に過ぎなかった。事実、記事の出た翌日には、“騒動”はきれいさっぱり消え去った。


  そもそも報じられた録音は、「遺言」でも「後継指名」でもなかった。私自身、22日の夕方にはそのことを確認した。玉城氏への高い評価を口にした翁長氏の言葉は、一時期最有力候補とされた謝花喜一郎副知事も含め、何人もの関係者がいた病室で発せられたものだった。その事実はしかし、候補者選考組織に玉城氏の存在を強く印象づけたものの、最終決定にあたっては、何より他の有力2候補の意向が大きく働いた。録音を聞かせろ、と騒いだオール沖縄の一部関係者も、そうした経緯を知り、すぐに矛を収めたのだった。


  文春のコラムは、政府が当初、辺野古埋め立てを知事選の3ヵ月前に強行してしまい、既成事実化を図ろうとした「目算」が、翁長氏の急逝によって「狂った」という朝日の解説記事にもいちゃもんをつけている。しかし、この分析は何も朝日だけが書いたわけではなく、現地では当の自民党関係者が堂々と語ることだった。名護市長選でも「辺野古の『への字』も言わない」という選挙マニュアルを配るなど、この手の「争点はずし戦術」は選挙のたびごとに公然と語られている。


  そんなことさえ知らないで、よくもまぁ……。そうため息が出るようなお粗末なコラムである。知らないことは書かないに越したことはない。そのほうが恥をかかずに済む。いや、もしかしたらこのコラム子も、あのヘイト報道の番組「ニュース女子」の関係者同様、沖縄問題ではどんなデタラメも許されると考えているのかもしれない。


  現地には今日もなお、本土からの差別を意識する人が一定の割合でいる。人々がそう感じてしまうのは、ろくすっぽ調べもせず冷笑的な文を書く、こうした論者があとを絶たないせいもある。保守論者の好きな物言いをするならば、彼らこそ地域間対立で火に油を注ぎ、「国益」を損ねる「反日論者」である。 


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 三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。