ウマノスズクサは漢字で書くと“馬の鈴草”で、花の形が、あるいは果実の形が、馬の鈴に似ているからついた名であるらしい。しかし、馬の鈴、と言っても多くの方はあまりピンとこないのではないだろうか。ネットで検索してみても、でてくるのはウマノスズクサばかりで馬の鈴なるものはほとんど当たってこない。花(より正確には萼筒)の基部の形、また果実の形はいずれもコロンと丸い形で際立つ特徴があるわけではないが、大きさなども含めて馬の鈴に似ていると表現されたのだろうか。
植物そのものは、暖地の河川敷などに普通に見られるもので珍しいものではないはずなのだが、最近は河川改修工事などが進み、コンクリートで護岸されてしまったところが増えたせいか、生えているのを見かける頻度が下がったと感じている。つる性で周りの草やフェンスに絡みついて生育し、葉の形は一見、ヘクソカズラやツルドクダミ、ヤマノイモなどに似ている。花期は長く、京都だと盛夏に咲き始めて今頃でもまだあちこちで花をつけている。
このウマノスズクサを含むウマノスズクサ科の仲間には、世界のあちらこちらで昔から薬用にされてきたものが多くあり、日本の伝統薬である漢方薬にも、細辛(サイシン)という生薬があって、これはウマノスズクサ科植物であるウスバサイシンの根および根茎を基原とするものである。生薬名の漢字が示す通り、細い根であり、味は辛い。鎮咳・去痰・解熱・鎮痛等の作用を期待して小青龍湯や立効散、麻黄附子細辛湯などに配合される。
薬学生の教育・研究のための薬用植物園には、ウスバサイシンだけでなく、ウマノスズクサもしばしば植栽されている。筆者の管理する大学の薬用植物園然りである。これは生薬になる草としてウマノスズクサを紹介するためではなく、主に、生薬の安全性に大きな問題を投げかけ、生薬についての国際標準を議論するきっかけのひとつになった事件とその原因化合物を説明するためである。(副次的な理由としては、ジャコウアゲハという蝶の幼虫の食草であるということもあるのだが。)
ウマノスズクサにはアリストロキア酸という化合物が含まれている。この化合物の名前はウマノスズクサの仲間の属名が、和名ではウマノスズクサ属であるが、ラテン語で表記する学名ではアリストロキア属であり、このグループの植物に含まれていることからそう名付けられたものである。アリストロキアという名称は、ギリシャ語で「最良の」という意味の“アリストス”と、同様に「出産」を表す“ロケイア”という言葉を合わせてつけられたもので、ウマノスズクサ属植物はかつて出産を楽にする薬として用いられたらしい。これは、ウマノスズクサ属の花には萼筒の基部が丸く膨らみ先端に向かって湾曲した形であるものが多く、その形が胎児に似ているというところから昔の人たちが発想したものらしい。しかし、アリストロキア酸には深刻な腎機能障害を起こす毒性があることが明らかになり、本化合物を含む生薬は現在日本では使用していない。
アリストロキア酸の腎毒性については、1990年代に欧州で肥満治療薬として使われた中国製生薬製剤にアリストロキア酸を含む広防已が含まれており、服用していた患者が恒常的に透析治療が必要な慢性腎機能障害(アリストロキア酸腎症)を発症したという事件で広く知られるようになり、また生薬を服用した際の副作用により関心が寄せられるようになった。
困ったことに、日本以外で生薬名に漢字を使う国で流通する生薬の中には、よく似た名前でまったく異なる基原の生薬が多くあり、そのうちいくつかはアリストロキア酸を含んでいる。例えば防已(ボウイ)と広防已、木通(モクツウ)と関木通、木香(モッコウ)と青木香は、それぞれ組の後者の“漢字ひと文字多い名前”の生薬はいずれもアリストロキア属(= ウマノスズクサ属)植物を基原の種とする生薬で、アリストロキア酸を含有しており、他方、前者はいずれも日本ではウマノスズクサ属でもウマノスズクサ科でもない植物を基原とする、アリストロキア酸は含まない生薬である。
個人輸入などの手段で外国製の生薬製品を入手し、この基原の違いを正しく理解しないまま、あるいはうっかり見落として、あるいはまたその製品の原材料の記載が不十分であったなどの理由で、アリストロキア酸を含む生薬が配合された製品を服用した結果、腎機能障害を発症し、透析に通う生活になってしまったという話は、残念ながら日本でもしばしば起きている健康被害事例であり、最近でもまだ新たな被害事例が報告されることがあるようである。
そこで現行の日本薬局方第17改正では、参考情報のG5. 生薬関連の中に「アリストロキア酸について」という項目を設け、細辛の純度試験にアリストロキア酸Ⅰの分析が加えられた経緯や製品にアリストロキア酸の含有が疑われる場合の対応等を述べている。
このような生薬製品による健康被害、特に輸入製品による健康被害が後を絶たないという事実は、国際標準化機構(ISO)で中国がTCM(Traditional Chinese Medicine)に関するTC(Technical Committee)を創設しようと提案した際に、欧米やアフリカ諸国が賛成票を投じた大きな理由のひとつとなったのである。輸入される生薬製品等に国際標準が設定されれば、安全性もそこで担保されるはずであるというわけである。
こうして2009年に立ち上がったISO/TC249は、現状、22ヵ国が参加しており、既に31の国際標準を出版し、なお44の標準案が作成途上、さらに今後も新たな標準の準備案が雨後の筍状態に出て来ているという、たいへん活発なTCとなっている。筆者は自身の研究業績や評価に少しもプラスにならない仕事ながら、このISO/TC249に関わってもうかれこれ8年目になる。
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伊藤美千穂(いとうみちほ) 1969年大阪生まれ。京都大学大学院薬学研究科准教授。専門は生薬学・薬用植物学。18歳で京都大学に入学して以来、1年弱の米国留学期間を除けばずっと京都大学にいるが、研究手法のひとつにフィールドワークをとりいれており、途上国から先進国まで海外経験は豊富。大学での教育・研究の傍ら厚生労働省、内閣府やPMDAの各種委員、日本学術会議連携会員としての活動、WHOやISOの国際会議出席なども多い。