旧聞に属する話で恐縮だが、8月中旬、山口県周防大島町で行方不明になった藤本理稀ちゃん(2歳)がボランティアで捜索に参加した尾畠春夫氏によって発見、救出された。行方不明から68時間が経過していたが、健康状態は良好だったことは喜びに堪えない。早速、大分県から捜索に駆け付けた尾畠氏をマスコミは「スーパー・ボランティア」と持ち上げたことは記憶に新しい。
確かに、曾祖父宅に遊びに来ていた理稀ちゃんが祖父と海岸に向かう途中、「帰る」と言ってひとりで家の方に向かったまま行方不明になったのが8月12日午前10時半ごろで、以来、発見された15日午前6時まで約3日間近く、延べ550人で捜索して見つからなかったのに、尾畠氏は捜索参加後たった30分で発見したのだから、立派なものだ。
だが、それまで捜索活動を続けた消防や警察は「間抜け」だったとしか見えない。さらに連日、取材していたマスコミは何をしていたのだろうか。付近には溜池が多いということから、万一、池に落ちたのではないか、川に流されたのではないか、と警察や消防が真っ先に心配して捜索したのはわかる。が、マスコミの記者たちは警察、消防の捜索行動の後を金魚の糞のごとく追いかけていたのか。池に落ちていたのを救出する現場を期待していたのか、と思わざるを得ない。警察の先回りをして理稀ちゃんを救出して特ダネをモノにしようと考えなかったのだろうか。
尾畠氏が理稀ちゃんを発見してわかった問題点は、新聞、テレビで報道された地図にある。地図では理稀ちゃんが祖父と別れて曾祖父宅に戻る道は途中で二股に分かれている。左側の道を進めば、曾祖父の自宅前に辿り着くし、後を追ってきた母親に出会うはずだったから、理稀ちゃんは右の道を進んだと見られた。こちらの道は左側に曾祖父の家の裏側を見ながら進むのだが、地図ではその少し先で途切れている。報道されたこの地図を見る限り、行き止まりとしか見えず、山の中に続くとは見えない地図なのである。警察、消防などの捜索は右側の道を辿った理稀ちゃんは曾祖父の家の裏側までの間で道をそれて池にはまったか、川に落ちたのではないか、と捜索していた。
だが、尾畠氏は現場に着いてすぐに右側の道が行き止まりではなく、山に続いていることを知って、山の方に向かって名前を呼びながら進み、理稀ちゃんを発見している。彼は各社の取材に「子どもは後戻りして坂を下りることはない」と語っている。その通りなのだ。大人は曾祖父の家(の裏側)に着いていないから、そこまでの間で行方不明になった、という勝手な判断を下したのだ。だが、理稀ちゃんは行方不明時、2歳直前であり、曾祖父の家に来たのは恐らく初めてだろう。曾祖父の自宅の玄関側は見たことがあるからわかっても、2歳の子どもの目では家の裏側を見ても、それが曾祖父の家だと気付かないのが当然である。曾祖父の家と気付かず、「まだかなぁ、遠いなぁ」と思いながら山の中に進んでしまったのだろう。
尾畠氏は現場に行ったとき、大人の目線ではなく、子どもの目線で道を辿って捜索したということに尽きる。その結果、わずか30分で理稀ちゃんを発見した。尾畠氏は数多くの被災地でボランティア活動をしてきたと語っている。ボランティア活動の中で被災者が求めるものは何か、ということを体で知っていたのだろう。だから即座に理稀ちゃんの立場、目線で捜索ができたと言える。
翻って、マスコミの取材ぶりには同業者として失望する。おそらく、警察が発表した地図をそのまま記事に載せ(テレビ報道し)、警察の発表だけを、家族の心配だけを報じているさまは報道機関と言えるだろうか。かつての大本営発表を鵜呑みにして報道した時代となんら変わらない。
話は違うが、目線を間違えた格好の例がある。松本サリン事件だ。筆者のいた雑誌編集部も、多くの新聞、テレビも現場に記者を派遣し、聞き回った。このとき付近の子どもたちが「宇宙人が車から降りてきた」と言い、宇宙人らしき人物の姿を絵に書いてくれた。だが、現場の記者も取材を指示している本社のデスクもキャップも「宇宙人がいるわけないだろう!」とバカにして見向きもしなかった。むしろ、被害者である河野義行さんの自宅に大量の化学肥料や化学物質があったことから、警察が河野さんを疑っているのに同調。河野さんを容疑者扱いしてしまった。
後に河野氏宅後方の裁判所の官舎を狙ったオウム真理教が真犯人で、河野さんは被害者とわかり、警察は謝罪し、マスコミ各社も頭を下げて謝罪したが、このとき、子どもの話をバカにしたことに後悔した。子どもたちが描いた宇宙人の姿は防毒マスクと防護服を着用したオウム信者の姿だったのだ。子どもたちは見たままを正直に描いた。が、子ども目線に立ち、絵がどういう意味なのだろうと考えなかったのが取材失敗の原因だった。
今回、尾畠さんが子どもの目線に立って捜索し発見してくれたからよかったものの、3日間もの間、現場にいながら記者たちが警察発表だけを頼って報道し、救出後は尾畠氏を「スーパー・ボランティア」と囃して済ましていたことに恥ずかしさを感じる。(常)