2000年4月に始まった現行の介護保険制度。『総介護社会』は、介護保険の18年を踏まえつつ、これからの制度のあり方を考える一冊である。しばしば、介護保険制度ができたことで、「介護が措置から契約に変わった」などと評されるが、別の角度から見ると、介護保険制度は介護を家庭から公にした〈介護の社会化〉の側面もある。


 かつて介護は同居している家族が無償で提供していたが、要介護度や必要に応じて定型化されたサービスとして、少額の自己負担で利用できるようになった。〈一九七八年の『厚生白書』では、三世代世帯の「家庭機能」を評価して、親の介護をする同居家族を「福祉における含み資産」〉と呼んでいたという。


 人々が公的なサービスを契約して利用する〈介護の社会化〉が行われたことで、〈家庭のなかにとどまっていたさまざまな困難と課題が明らかになり、広く社会で共有されるようにな〉った。メディアも積極的に取り上げるようになっている。


 介護認定の仕組みがつくられたことで、介護が必要になる原因がわかるようになったのも、介護保険制度の成果のひとつ。認知症、脳血管疾患、高齢による衰弱、骨折・転倒と続くが、高齢者の医療や介護でどこにフォーカスすれば、高い効果が得られるかが一目瞭然となった。


 もっとも、介護保険に限らず、あらゆる公的な制度は、善くも悪くもシンプルではいられない。社会構造が変化したり、制度を悪用する者が出てきたり、財源の問題があったりするなどして、制度は時間を経るにつれて、当初と違った形になっていく。


 社会構造の変化という点では、超高齢化はもちろんのこと、〈「子どもと同居」するタイプが減ったこと〉も大きい。〈一九八〇年には、子どもとの同居率は七割と多数派でしたが、二〇一四年には四割まで下が〉ったという。儲かりすぎた(とみられた)サービスの介護報酬は削られてきた。


■当事者が参加しない社会保障審議会 


 今や介護サービスを提供できるか否かは、現場で働く人々の確保にかかっているといっても過言ではない。


 現在、入居コストが安い特別養護老人ホーム(特養)は多くの入居希望者を抱えているが、一方で空き部屋も少なくない。〈その原因は「職員の採用が困難」、「職員の離職が多い」〉のだという。埼玉県では3700人分の特養が計画されたが、県議会で〈介護職員を一八〇〇人もあらたに確保できるのか、という疑問が出された〉という。


 第2章では、介護現場で働く人々の過酷な実態が明らかにされる。ホームヘルパーの資格を持っている人は多いのに現場で働く人が約1割、〈ホームヘルパーは非正規職員が八割〉、サービス残業が多く夜間勤務で休憩できない施設職員、低い賃金水準……。好景気で他の産業にも人手不足が広がるないか、あえて過酷な現場で働こうという人は限られるだろう。


 本書では、AIを使ったケアプランが紹介されているが、介護保険制度が始まって以降、ICT技術やロボット技術の進化は非常に大きいものがある。テクノロジーの進化をどう生かすか? という視点は介護の世界でもっとあってもよいだろう(遅ればせながらではあるが、医療・医薬の世界では意識が高まりつつある)。


 ビッグデータの解析による介護サービスの再構築、現場でのロボットの活用(一部で始まっている)ほか、サービスの向上や省力化につながるメリットは多々あるはずだ。


  細かい制度の変更や使い勝手の悪さについては、本書に譲るが、根本的な問題として、気になった点が2つある。


 ひとつは、著者が指摘する〈社会保障審議会のありかた〉である。〈(要介護)認定を受けた人、介護をする家族、ケアマネジャー、実際にサービスを提供する労働者のすべてにおいて、女性が七割を超えて〉いるにもかかわらず(「介護離職」も女性が大半だ)、社会保障審議会で〈女性の委員は一割〉しかいないという。介護のステークホルダーが、制度の議論に参加できないのでは、利用者の声も提供者の声も制度に反映されにくくなる。


 もうひとつは、介護保険の運営責任が市区町村になったことだ。市区町村が地域の実態に応じたすぐれた仕組みを作ることができればよい。しかし、本書を読むかぎり、市区町村の職員が制度の趣旨をよく理解していなかったり、〈ローカル・ルール〉で利用できるはずのサービスが利用できなかったりなどの不都合も起こっている。


 本書は新書の形をとっているため、各項目が少々細切れになってしまった感があるが、介護を巡る論点を知るうえで非常に有用な一冊である。介護保険制度ができてまもなく20年、制度をめぐるさまざま環境が変わるなか、あらためて制度のあり方を考える時期が来てきているようだ。(鎌) 


<書籍データ>総介護社会』 小谷雅子著(岩波新書840円+税)