週刊誌の話ではないのだが、今週は18日発売の月刊誌『新潮45』をめぐってまた騒ぎが持ち上がった。2つ前の号の『日本を不幸にする「朝日新聞」』という特集に、自民党・杉田水脈衆議院議員が『「LGBT」の度が過ぎる』という記事を寄稿、性的マイノリティーに対する偏見をむき出しにしたことで激しい批判を浴びたことは記憶に新しいが、今月の同誌は改めて『そんなにおかしいか「杉田水脈」論文』と題し、杉田議員を擁護する論陣を張っている。


  執筆者の顔ぶれは、『Hanada』『Will』『正論』など“安倍首相礼賛、中国・韓国・野党・朝日新聞罵倒”の扇動記事を売りにする右派月刊誌の常連ライターで占められ、まるでこれらの雑誌かと見紛うほどその見出しは毒々しい。なかには「LGBTの権利を認めるなら痴漢の権利も認めろ」などと下劣極まりない暴論を書き飛ばす文章もある。


  この『新潮45』、一昨年秋、現編集長が就任するまでは、ここまでひどい雑誌ではなかった。腐っても鯛、名門老舗出版社・新潮社の定期刊行物である。それ以前も総じて保守的な誌面構成ではあったが、確信犯的にデマや暴論・ヘイト記事でマニアックな“ファン”を囲い込む『Hanada』や『Will』などとは、記事レベルも執筆者の顔ぶれも一線を画していた。


  さすがにここまで開き直って世の批判を嘲笑する今月発売号の特集には、新潮社と接点を持つ作家や文化人たちも「どうしてあんな低劣な差別に加担するのか」(平野啓一郎氏)、「差別の宣伝媒体を会社として放置すべきではない」(星野智幸氏)などと、ツイッターなどで次々と抗議の声を上げている。


  そんなさなか、同じ新潮社の「出版部文芸」という書籍部門のツイッター・アカウントがおそらく上層部の目を盗んだゲリラ的行動だろう、これらの批判を次々とリツイートした。そればかりか「良心に背く出版は、死んでもせぬこと」という創業者・佐藤義亮氏の言葉を掲げ、間接的ながら自社の刊行物『新潮45』に抗議の声を上げたのであった。


  するとこの動きに、「岩波文庫編集部」「河出書房新社」「文春文庫」など、今度は他社の部門別ツイッターが「志を共有します」などと呼応した。さらにはこうして意思表示をした出版社ツイッター関係者の間で「ナカノヒト会(匿名ツイッターを担当する「中の人」の意)という業界横断組織をつくり、この問題を議論する交流会を実現しよう、という呼びかけまで始まって、角川や講談社、中公、平凡社、集英社などさまざまな社の文庫や新書などのツイッター・アカウントが参加を希望する事態になっている。


  いつの間にか、ほとんどの書店にヘイト本が山積みされる時代になってしまった。深刻な出版不況のなか、少しでも売り上げを伸ばしたい誘惑に引きずられてのことだろうが、良心的出版の実績と歴史を持つ版元でさえ、その一部にヘイト本を出す動きが現れている。業界全体にそんな暗雲が垂れ込める今日この頃だっただけに、今回の『新潮45』をめぐる問題が“まともな出版社”“まともな編集者”の間に「出版と良心」をめぐる議論を引き起こしてくれるのならば、これはこれで思いがけぬ副産物として、喜ばしく思える。


  一般に、雑誌のカラーは編集長個人のキャラクターに大きく左右されるという。今回の『新潮45』の問題も一義的には編集長個人の資質に帰することなのであろう。それでもこうした醜悪な仕事を毎号、見て見ぬふりをして放置してきた新潮社上層部の責任も、決して許されるものではない。新潮社、そしてそれ以外の出版社におけるヘイト本への対応をしばらく注視していきたい。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。