アルツハイマー病は、さまざまな製薬会社が治療薬の開発に挑みながらもいまだ画期的な新薬が登場していない病気のひとつだ。現時点では、日本における認知症の患者は2060年には850万人と推計されている。 調査によって異なるが、認知症のうち少ないものでも約4割、多いものだと約7割がアルツハイマー病とされている。さらなる高齢化を迎える日本で、アルツハイマー病への対応はますます重要になってくる。


 アルツハイマー病の専門家の間ではよく知られた「ナン・スタディ」と呼ばれる疫学研究がある。ナンとは修道女のことで、678人の修道女を対象に老化をさまざまな角度から研究したものだ。


『100歳の美しい脳 普及版』は、このナン・スタディの中心的研究者が記したドキュメンタリーである。日本では2004年に刊行されているが、この度、普及版として再登場した。


 修道女を対象にした調査のため、〈タバコを吸わないし、独身だし、仕事も収入も同じだし、生涯にわたって同程度の医療を受けられる。つまり、貧困とか医療体制の欠如といった、データの意味をあいまいにしてしまうややこしい要因が少ないのである〉というイメージはついていた。


 調査から出てきた結果だけをみれば、無機質な情報やデータでしかない。しかし、疫学研究では、長期にわたって、人々にテストや検査で参加してもらう必要がある。加えて、ナン・スタディには、最後に亡くなった後に脳を提供してもらう“献脳”が含まれる。参加者を募るハードルは、かなり高かった。本書は著者らが、その高いハードルを、修道女と信頼関係を築きながら乗り越えていく様子をつぶさに記録している。


 医療の世界を取材していると、典型的な症例の画像やデータと疾患を結び付けてしまいがちだが、アルツハイマー病は簡単な病気ではない。


 脳の損傷がアルツハイマー病と結びついていた典型的な修道女がいた一方で、〈アルツハイマー病の初期症状を呈していたにもかかわらず、中身がまったく健康に等しい脳がある。反対に、生前は精神状態に問題がなかったのに、脳を見るとアルツハイマー病の明らかな証拠が現れていることもあった〉という。


 アルツハイマー病の患者でみられる、プラークなどの脳の病変に対して〈抵抗力が強い人〉が存在するようなのだ(著者らは脳に病変があっても、知的能力に問題がなく亡くなった高齢者を〈逃げおおせた人〉と呼んでいる)。


 修道女が書く自伝の文章の意味密度(注:単語10個あたりに表現される命題の数)と認知テストの得点の相関、アルツハイマー病を発病したのに痴呆にならなかったシスターたちと、ラクナ梗塞(注:脳梗塞の一種)の関係など、アルツハイマー病の謎に迫っていく様子はドキュメンタリーならでは。


■まだ何もわかっていない


 本書はさまざまな教訓の宝庫でもある。


 例えば、〈一般の人は、リスクという概念のとらえかたが科学者とまったくちがう〉という点。〈ある病気のリスクが高いと言われたら、すでに病気になっているか、すぐにでも発病すると思ってしまう〉のだ。


〈ひょっとしたら一生ならないかもしれない病気を恐れながらの生活は、あまりに負担が大きい〉。対処法が限られるアルツハイマー病ならなおさらだ。現在、遺伝子検査が野放図に広がっているが、必要以上に心配をばらまいてしまう可能性もある。


 耳の痛い話でもあるが、著者は〈往々にしてマスコミは、たったひとつの論文を引きあいに出して、「解決策」がすぐにでも見つかるような書きかたをする〉と憤る。記事に一喜一憂する患者もいる。いつも〈ひと筋縄ではいかない難しい証拠が出てきていらだちを覚えたり、新しい研究結果が登場して、それまで認められていた定説がくつがえされることも多い〉という科学者の言葉を心に刻んでおくべきだろう。


 本書は疫学研究の実態を生き生きと描いた一冊だが、気になったことがひとつある。冒頭に本書が2004年に刊行されていることを書いたが、読んだ印象では、その時点から状況は、本質的には変わっていないという点だ。アルツハイマー病の原因は今も“仮説”でしかなく、画期的な新薬はいまだ登場していない。


〈私たちは脳についてまだ何もわかっていない〉のだ。


(鎌)


 <書籍データ>100歳の美しい脳 普及版』 デヴィッド・スノウドン著 藤井留美訳(DHC1600円+税)