東京都に隣接する千葉県で、甚大な台風被害が生じたのに、主要メディアがその深刻さに2日以上気づかず、ろくすっぽ報道せずにいた。令和の世にそんな事態があろうとは、思いもしなかった。国内報道機関の足腰はもう、そこまでダメになってしまっている。


 被災者の窮状をよそに、ニュースや情報番組がダラダラと流したのが、内閣改造の話題だ。“在庫一掃”という揶揄もあるように、日本会議などの“お友達”を数多く引き立てた顔ぶれだが、そのぱっとしないイメージを華やかにしたかったのだろう、首相はあの小泉進次郎氏をサプライズ的に登用。メディアはまんまとこれを“慶事”として取り上げた。


 哀れだったのは週刊新潮だ。『憎悪と嫉妬が渦巻く人間模様 「安倍総理」と「小泉進次郎」が訣別! 「9・11」内閣改造の全舞台裏』とやらかしてしまった。情報番組の解説などによれば、首相が急転直下、進次郎氏の登用を決めたのは日曜日のことらしく、新潮が直後にこれを察知できたなら、修正も可能だったかもしれない。だが、間の悪いことに今週の新潮は通常の木曜でなく、水曜日発売だったため、情報を得たときには万事休す、惨憺たる誤報になってしまった。


 ただし、この記事には『水面下は「安倍・岸田」vs.「菅・進次郎」という後継争い』という解説記事もあり、政権内の構図を知るうえではなかなか興味深い。あまりに歯切れのいいタイトルをつけてしまったがゆえに、大恥をかく格好になってしまったのだ。


 関連報道で最も目を引いたのは、意外にも女性セブンである(初入閣を見越した記事でなく、タレント・滝川クリステルさんとの結婚をめぐる話題だが、それでも「進次郎ネタ」には違いない)。同誌は『小泉進次郎の生き別れの母 「滝クリさんと私は全然違う」』とぶち上げてみせたのだ。若き日の小泉純一郎元首相との間に、俳優の孝太郎氏と進次郎氏、そしてもうひとり息子を生みながら、義姉との確執から小泉家を追われた宮本佳代子さん。しかし、この“衝撃的スクープ”も、丁寧に読み込むと、そこに佳代子さんの肉声はなく、あくまでも周辺から聞き取った彼女の様子を描いただけだった。


 セブン記事の文中にも一部が引用されているが、長らく一切の取材に応じずにいた佳代子元夫人について、その直接インタビューに3年前、成功した雑誌があったらしい。私はその媒体をまったく知らなかったのだが、書店では買えない『いきいき』(現在の誌名は『ハルメク』)という直販制シニア向け女性誌が、その“スクープ誌”だった。


 ネット情報によれば、当時の女性編集長(元朝日新聞記者)が約10年がかりで佳代子さんを口説き、実現したインタビューだという。テレビや新聞、週刊誌等々で自転車操業に明け暮れる取材者と異なり、組織人であれフリーであれ、一個人として長期スパンの職業意識を持つ記者や編集者は、10年、20年と時間をかけ信頼関係を築くことができる。媒体の種類はもはや関係ない。3年前の『いきいき』の“スクープ”は、そうしたアプローチの見本のような仕事だった。


 週刊文春は『進次郎裏切り全真相 内閣改造インサイド』と報じた。メインタイトル下の小見出しには『官邸結婚発表の逆風「今回の目玉人事はオレ」と入閣決意』『「育休」「夫婦別姓」党内で主張せずのスタンドプレー』とネガティブな文言が並ぶ。堂々とした立ち居振る舞いと簡潔なコメント力。私が抱いてきた彼のイメージは、そういった外面的なことだけで、正直、人格や識見は未だにわからない。だが、よくよく考えると、彼の議員生活もすでにまる10年。「周囲の目にどう映るか」を誰よりも徹底して研究・実践する、そんなエネルギーの注ぎ方にこそ、この政治家の空疎さが垣間見える気がする。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。