小学館の『サピオ』が来年から不定期刊行になる。同誌にマンガ連載を続けている小林よしのり氏は「事実上の休刊だ」とブログで説明した。私自身は“一定の範囲内”の雑誌なら、右の媒体でも左の媒体でも、原稿を書いてきた人間で、近年はとんとご無沙汰だが、以前はサピオにも記事は書いてきた。


 自分なりの“限界”は、右はかつての月刊『諸君!』まで。『正論』になると“別世界”に感じた。左は『週刊金曜日』にも記事を一度書いた。そう言えば、新右翼の機関紙にも一度だけ、沖縄の記事を書いている。


 要は「自分の視点で書いたもの」を歪めず載せてくれることが前提で、それが無理そうな媒体とは関わらずにきた。たとえばかつての『諸君!』では、個々の編集者にはリベラルな人が多かった。サラリーマンである以上、編集方針には従うが、「そうでない原稿」もある程度は掲載する懐の深さがあった。そうでなかったら、カラーにそぐわない私の原稿など載せてはくれなかっただろう。


 その意味で『サピオ』は、相当にギリギリの境界線だった。近年はとくに『Hanada』『Will』寄りの度が進んだ気がしていた。それでも小林氏は、サピオの“敗因”は「極右化を徹底しなかった」ことだという。「まだ良心が残っていたから、少し右向きくらいで、差別や排外主義を徹底しないで、必死で踏みとどまろうとしていたのだが、それが仇になって終わってしまった」。そんな分析をする。


 最近は『新潮45』の休刊という出来事もあった。LGBT問題が直接のきっかけだが、結局のところその背後には、深刻な部数低迷があった。出版界全体の危機的な状況を思えば、どんな雑誌であれ休刊は憂うべき事態だが、正直なところ、『正論』『Hanada』『Will』以外の右翼っぽい雑誌が売れなくなったことは救いに感じている。この3つの“マニア向け専門誌”はもうどうでもいい。ある程度まともな本を出す出版社の人は、ヘイトジャンルにもうビジネスチャンスはないものと見定めて、見切りをつけてほしいと思っている。


 今週は日本版ニューズウィーク誌が「ケント・ギルバート現象」と題し、いまや人気ネトウヨ文化人として単行本ヒットを連発するこの人物をめぐる出版事情を掘り下げている。本人へのインタビューもある。ニューズウィーク自身、以前は中韓ヘイト特集を頻繁にやっていた時期もあり、微妙な“手のひら返し感”も否めないが、こういった「現象」を異様なものとして取り上げる感覚になったことは、歓迎したい。


 文春は前週のスクープ「百万円国税口利き疑惑」の第2弾で『片山さつきのウソを暴く!』を掲載した。今週は週刊新潮も『「片山さつき」にもうひとつの「財務省口利き疑惑」』という記事で参戦した。


 ここ何年か、閣僚にどんな疑惑が暴かれても、失脚することはなくなってしまっている。なにしろ政権のトップその人が、他の人を咎め立てできない立場に置かれている。検察がこうした問題にメスを入れる時代ももう、遠い過去のものになった。しかも政権支持率は、どんな不祥事が起きても、一定のラインでなぜか下げ止まるのである。こんな状況では、どんなスキャンダルがあっても、政治家は知らぬ存ぜぬで突っぱねて終わりだ。なんとも空しいご時世だが、各編集部とも士気を下げず、頑張ってほしい。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。