フリージャーナリストの安田純平さんが、解放されて帰国したが、予想通り「自己責任論」がネットを賑わせている。


 古い話になるが、1991年に米国を中心とした多国籍軍が、クウェートに侵攻したイラクに対して空爆を始めた湾岸戦争開戦のとき、私は朝日新聞社の記者として連日、社会面の紙面づくりに携わっていた。当時、イラクに滞在していたはずの記者たちは、全員が周辺のヨルダンやサウジアラビアに引き上げていた。会社の方針だ。日本のメディアのほとんどが同じような対応だったと記憶している。残っていたのは米国のCNNやABCなど4大テレビネットワークで、なかには会社の指示に背いて現地に残ることを決めた取材チームもある。CNNは「報道の義務だ」として残るよう会社から命じられた(91年1月17日付、朝日新聞朝刊)という。


 開戦時の多国籍軍の攻撃を報じたCNNの映像は有名だ。街がミサイルで爆撃され閃光が走る様子が全世界に放映された。それを伝える朝日新聞の紙面には、他国のテレビ局が放映する映像を見たワシントンやヨルダン、サウジアラビアにいた記者たちが書いた記事が掲載されている。新聞としての体裁は整えたものの、真実を伝えているとは言いがたい。ミサイル攻撃の下で何が起きているのか、窺い知ることはできないからだ。メディアとしての責務を果たしているかと問われれば、忸怩たる思いがあったのを覚えている。


 もちろん、朝日新聞内部でも議論はあった。開戦前には、どうしても現地に入りたいと直訴する記者もいたが、会社としての責任が問われることから認められなかった。


 2001年9月11日の米国同時多発テロの報復としてのアフガン空爆や、続く03年のイラク戦争でも、多くの日本メディアは安全性を重視して現地から撤退している。イラク戦争開戦時の朝日の紙面は、湾岸戦争のときと同じだった。違っていたのは、イラクの首都バグダッドの住民から電話で話を聞いて臨場感を持たせていたことくらいか。


 イラク戦争開戦からしばらくして、社会部デスクだった私は、イラク周辺の国に待機していた記者に、イラク領内に入る方策はないかを尋ねたことがある。優秀な記者だったが、彼は躊躇した。


「もしものことがあったら、朝日は家族の面倒をみてくれるのでしょうか」


 彼の抵抗を批判するつもりもないし、むしろ社の方針に疑問を呈する勇気のある発言だったと思う。


 大手紙や通信社は、みな同じような悩みを抱えていた。現地に入っている他国のメディアが報ずる記事や映像、それに電話取材で現地の様子の一端を知ることができるし、それだけでも記事を書くことができる。だが、それを自分の目で見ることができないジレンマだ。


 なるべく自前の映像を使いたいテレビ局は、フリーのジャーナリストたちに頼ることになる。中東の土地柄を知り取材手法に長けているフリーランスが現地に入り、さまざまな地域から映像を送ってくれる。自社の社員を危険に晒すこともなく、真実の映像を国民に提供することができる。フリーランスも、そのことで報酬を得て、次の取材に繋げることができる。もちろんテレビ局も、「行ってください」とは言わない。責任が問われるからだ。だからフリーランスは自己責任で取材を続けて貴重な映像をテレビ局に売り込むことになる。中東で命を落としたジャーナリストに、フリーランスが多いのは、このためかもしれない。


 もちろん彼らは、生活のためにあえて危険な地域に入って取材を続けたという側面がないわけではない。だがそれ以上に、そこに伝えるべきと考える真実があるからだ。現場を踏まなければ、人々の息遣いはわからない。幼子を失った親の嘆きや、恐怖におびえる住民たち。戦争というリアルを映像で突きつけることによって、いまそこで何が起きているか。何が問題になっているかを伝えることができる。そのことは、米国に追従して報復に賛同した日本にとっても他人事ではなかったはずだ。


 日本人であるかどうかにかかわらず、フリーランスの取材がなければ、そういった真実の一端は知らされないことになる。


 わかりやすい例えがある。


 2011年3月の東日本大震災に伴い東京電力福島第1原発の原子炉が水素爆発を起こしたとき、大手メディアの記者が一斉に原発から30㎞圏外の安全地帯まで引き上げたことを覚えているだろうか。


 フリージャーナリストの立場で、業界紙の医薬経済社と契約している私は、医療関係の取材をするために被災直後から現地に入っていた。原発の爆発が続いていたときだ。相馬市や南相馬市の病院を訪れると、まだ医師も看護師も事務職員も、そこに残っていた。南相馬市の病院では、患者を移送してほしいと依頼しても消防も自衛隊もなかなかやってこない。看護師もひとり抜けては、またひとり。圏外へと避難していく。絶望的な状況のなかで残された看護師たちは、息絶えた患者の身体を泣きながら清拭していたという。被災直後の相馬市の病院の事務長の言葉が忘れられない。


「もう私たちの苦境を報じてくれるメディアがいないから、ここで頑張っていることも誰も知らない。救ってくれる人や機関もなくなってしまう」


 病院の事務長は、諦め顔で話してくれた。


 メディアの記者がいなければ、そこにある真実を知らされないことになる。ネットに情報があふれ、事実に迫る垣根が低くなっている時代に、真実を伝えることの意味をかみしめたい。


 安田さんの身柄拘束は、はたして自己責任なのか、と問われれば、自己責任だと答えるしかない。だから危険を回避するための情報収集やガイドの選定などの対策には念を入れているはずだ。それでも身柄を拘束されたときは、自己責任であろうがなかろうが、国は救出に努力するのが責務だと思う。だから、自己責任をを問うことに、どれだけの意味があるのだろう。ましてや彼が「英雄」であるかどうかなど、さらに意味がない。解放された安田さんは、解放交渉に携わってくれた関係者に感謝の意を伝えるべきだと、私は思う。だが、何より知りたいのは、安田さんが何を伝えたかったのかに尽きる。 


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辰濃哲郎(たつのてつろう) 元朝日新聞記者。04年からノンフィクション作家。主な著書に『歪んだ権威――密着ルポ日本医師会積怨と権力闘争の舞台裏』『海の見える病院――語れなかった雄勝の真実』(ともに医薬経済社)、『ドキュメント マイナーの誇り――上田・慶応の高校野球革命』(日刊スポーツ出版社)など。