世界の航空機事情に詳しい人にとっては懼れていたことが起こったと受け止めただろう。カナダの航空機製造会社「ボンバルディア」がリージョナル旅客機「MRJ」を開発している三菱重工の子会社「三菱航空機」を相手取って企業秘密を奪ったと米シアトル地裁に提訴した問題である。MRJは2020年の就航をめざしていたが、すでに5度の開発遅れで当初の目標から7年も延びているだけでなく、まだ米航空局から型式承認を得ていない。こんなに遅れていると、発注した航空会社から損害賠償訴訟を起こされかねない。
ちなみに型式承認は厳しい。ヨーロッパでは欧州航空安全局(EASA)の型式承認を受けるが、EASAに米航空局から係官が派遣されているからアメリカで型式承認を受けるのと同じだ。型式承認では機体重量の2.5倍の荷重をかける制限荷重テストを行ったうえ、さらに1.5倍の荷重をかけて3秒間耐える終局荷重テストがあるほど厳しい。
世界最大の旅客機「エアバスA380」の型式承認では3秒間耐えなければならない終局荷重テストで、ちょうど3秒たったとき、羽にひびが入った。エアバス社側は「種々の過酷なテストが連続で続いたためで問題はない」と主張。EASAも立ち会っていたアメリカ航空局の係官もお互いに型式認証をしていることから阿吽の呼吸で承認したという経緯さえある。三菱航空機はこの型式承認を得るためにボンバルディアの元従業員を雇用して機密情報を盗んだという訴えである。
日本のテレビや新聞ではMRJのテスト飛行を「MRJが空を飛んだ」と絶賛した。だが、民間航空機というのはテスト機が飛んだら完成ではない。軍用機はテスト飛行に成功し、要求された条件をクリアできたら、後は納入するだけだ。だが、民間機は違う。テスト飛行は道半ばに到達しただけ。民間機に重要なのはアフターである。
型式承認は空を飛ばせるということで、各国の航空会社に売ることができるということに過ぎない。民間機では発注航空会社に操縦方法などへのマニュアルだけでなく、操縦に関わる教育が必要だし、さらに、どこかで不都合が起こったら全世界の購入航空会社への情報提供やすぐに修理すること、さらに万一航空事故が起こったとき、即座に調査官を派遣するなど、万全なアフターの体制が必要なのである。空を飛んだだけで喜ぶマスコミの発想は単純というか、未だゼロ戦から発想が抜け出していない。
MRJのライバル機と目されるのは、カナダのボンバルディアとブラジルのエンブラエルである。米ボーイングもエアバスもこの種の乗客数90人から150人クラスの航空機は製造していない。三菱航空機はテスト機が完成に近づいたら真っ先にボーイングなりエアバスと提携すべきだったのだ。提携でボーイングに対抗機種をつくらせないとともにボーイングの世界にまたがるアフター網や型式認証の知恵などのノウハウを借りるべきだったのである。
提携したからと言って三菱航空機の技術者の自尊心を損なうものではないし、ボーイングも自社にない小型旅客機をタダで揃えられると喜んだはずである。ところが、三菱はすべて自前でやろうとした。その隙をついてボンバルディアはエアバスと提携し、エンブラエルはボーイングと提携してしまった。カナダやブラジルのほうが一枚も二枚も上だった。
エアバスと提携したボンバルディアがMRJの開発に指をくわえて眺めているはずがない。ボンバルディアがやらなければ、エンブラエルが訴訟を起こしたりして、MRJ開発を妨害していただろう。妨害で製造が遅れれば遅れるほど、三菱航空機はMRJの開発費用に堪えられなくなる。場合によっては開発断念に追い込まれるかもしれない。エアバスではA380の開発で3度も引き渡しが延期され、その間に2度も経営トップが交代した。三菱航空機がMRJ開発中にボーイングと提携しておけば、こうしたちょっかいを予防できたはずである。むしろ、逆にボンバルディアが訴訟を起こそうとしている動きを事前に教えてもらっていただろうし、あるいは、妨害対策を伝授されたかもしれない。
かつて三菱重工は子会社「日本航空機製造」を設立し、日本の航空機に関係するメーカーの技術を集めて「YS―11」を開発した。YS11は名機だったが、思った以上に売れなかった。原因はアフターが整っていなかったからである。三菱重工はこのときの苦い経験を持っていたはずだったのに、すっかり忘れていたと言うしかない。
旅客機はヨーロッパでも1ヵ国ではもはやつくれない。1ヵ国でつくれるのはアメリカとロシアだけであり、そのアメリカでも「トライスター」を生んだロッキードは旅客機から撤退、マーティン・マリエッタと合併して軍需産業に転換している。ヨーロッパでもフランスのダッソーや戦後、世界最初のジェット旅客機「コメット号」を飛ばした英デ・ハビランドでもつくれない。英仏独伊など各国が集まってエアバスをつくっているのは周知のはずだ。
三菱重工が名機YS11の教訓を忘れ、相も変わらず軍用機製造の発想のままだったことは、MRJの成功を期待していた日本人にとってはあまりにも悲しい。(常)