ネット版の「フライデー・デジタル」に、『あのアニータがチリで大人気TVタレントになっていた』という記事が載った。2001年、青森県住宅供給公社の職員が約14億円もの巨額横領事件を起こした際、その大半を受け取った“チリ人妻”として脚光を浴びた女性だ。逮捕された男性は、外国人風俗嬢だったアニータに熱を上げ、猛アタックの末、結婚。事件は、カネの力で彼女の歓心を買うために起こしたものだった。
しかし新妻となったアニータは、早々に単身チリに帰国、夫に貢がせたカネでプール付きの豪邸を建て、何人もの愛人と同棲した。日本から夫が来ても新居への宿泊は許さず、ホテルに泊まらせた。「結婚はあくまでもカネのため、夫への愛情はない」。そう言い放つ彼女は“悪女キャラ”で一躍話題の人となったが、それから17年、破産や投獄など波乱の日々を経て、現在は毒舌の人気タレントになっているという。
当時、チリの隣国ペルーに暮らしていた私はいくつもの雑誌から依頼を受け、彼女の記事を書いたものだった。その印象をひとことで言えば、とてつもない「猛女」である。当方は、あの手この手で接触を試みて、結果的に計4回、まとまった単独インタビューに漕ぎつけたが、その交渉は常に法外な謝礼要求を断る作業から始まった。日本の週刊誌はケースバイケースで2~3万円の“薄謝”を出すことはあっても、それ以上の法外な額はまず出さない。しかしアニータは「2000ドル寄こせば半分お前(私)にやる。何とか編集部を説得しろ」などと、なかなか引かないのだ。
現地ではもちろん周辺取材もする。なかにはいろいろ語ってくれる人もいたが、アニータは私との接触者を執拗に探索した。疑わしいと思った知人を問い詰めるセリフが振るっている。「あんたがしゃべったことはわかってる。あの日本人記者は私に惚れてるの。すべて白状してるからとぼけても無駄よ」とカマをかけるのだ。彼女はまた、女友達2人から、自分たちを日本に送った“売春ブローカー”としての悪行を告発されてもいる。
ともあれ、あの強心臓としたたかさをもってすれば、毒舌タレントとしての成功も頷けるが、今週は週刊朝日連載の北原みのり氏のコラム「ニッポン・スッポンポン」でも偶然、アニータに触れていた。『外国人労働者問題とアニータ』という題で、要は独身時代、日本で過酷な風俗業に従事したアニータと、低賃金で悪条件の職に就くことが多い外国人技能実習生を重ね合わせ、《売春ブローカーがやってきたことと、日本が国をあげてやってきたこと、どこが違うのだろう》と綴っている。
まぁ確かに、貧困と低賃金労働、ブローカーの介在という“枠組みの話”としては、どちらも同じなのだろう。それでも、そういった問題を語るのにアニータを引き合いに出す選択には、いささか困惑する。私が当時、アニータ取材で思ったのは、何よりも獄中にいる横領犯の夫のことだった。もちろん100%自業自得だし、愚か極まりない男ではあるのだが、そこまで破滅的な求愛も一方通行でしかなかった現実に“哀れみ”を感じるし、夫のそんな悲劇を鼻で笑っていた彼女には、苦い気持ちを禁じ得なかった。
たとえば今週のサンデー毎日では、50年前に連続射殺事件を起こした元死刑囚・永山則夫について、鎌田慧氏が記事を書いている。獄中で文字を学び、自らの犯行と向き合った永山は、その手記『無知の涙』の切実な内容が大きな反響を呼んだ。彼自身、劣悪な生育環境の“犠牲者”とも言える立場だが、一方には、彼の手で命を奪われた警備員やタクシー運転手、遺族たちがいる。その事実は、部外者の永山への安易な同情を戒める。外国人労働者の悲惨な境遇を語るにあたっても、よりによってアニータを持ち出すことはないように思うのだ。
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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。