いきなり私事で恐縮だが、昨年秋、『夢を喰らう キネマの怪人古海卓二』(筑摩書房)という本を書いた。私が誕生する以前に他界した母方の祖父について、祖母の遺稿をもとにその人生をたどってみたものだ。


 祖父は大正から昭和初期にかけて活動写真の監督だった人だ。そんな関係で、私は映画史の資料を読み漁り1920年代末(昭和初期)、国内の各映画会社が「傾向映画」と呼ばれる左翼映画を競い合って製作したことを知った。


 大正デモクラシーの後、左右両極のイデオロギーが対立したピーク時の話。2〜3年というごく短期間だったが、左翼映画が興行的になぜかバカ当たりしたのである。製作会社が思想的だったわけではない。儲かると思ったから手を出しただけだ。祖父の場合は何と、昭和右翼の巨頭・笹川良一が経営する会社で、左翼映画を撮影した。


 だが、満州事変を機に世相は急激に右旋回、ブームは瞬く間に終わった。とりたてて厳しい弾圧が、あったわけではない。ほとんどの会社は、潮時だと考えて自主的に路線転換したのだった。


 なぜこんな話をするのかと言えば、このところ、安保法制に反対する世論の広がりにメディアが「乗ろうとする」動きが目立っていて、当時と似た印象を受けるためだ。実際、女性週刊誌では、「安保ネタ」が売上げ増につながっているらしい。


 まぁ、商業誌はもともと、そういうものである。極端に左右に寄った媒体はマニアックな固定読者を抱え込んでいるが、浮動層をつかもうとすれば、どうしてもそうなる。ある程度“色のついた雑誌”はあからさまな転向はできないが、穏健な保守雑誌は声が小さくなり、リベラル誌は逆に攻勢に出る。中間誌は軸足をリベラルに移す。


 今週は大手4誌のうち3誌が合併号で休みのため、週刊ポストのほか新聞社系の週刊朝日とサンデー毎日を見て、そんなことを思った。とくにサンデー毎日はすごい。戦後70年のまさしく「総力特集号」であり、半藤一利、保坂正康、青木理の3氏の大型対談のほか、野坂昭如、藤原作弥、岩尾光代といったベテラン勢の寄稿や語り下ろしを特集して、ほぼ丸ごと1冊が「反戦キャンペーン」となっている(半藤氏や保坂氏は本来、保守文化人だが、近年の右傾化した世相では、左派リベラルと見なされてしまいがちだ)。


 軸足の曖昧なポストも、『もし今、衆参ダブル選挙なら安倍自民大敗!衆院100人参院20人が落選する』という「シミュレーション記事」のほか、やはり半藤氏の寄稿を載せ、「反安倍」のカラーを強めている。週刊朝日は大女優・吉永小百合さんを担ぎ出している。


 合併号明けの文春や新潮はおそらく、固定読者向けにこうした潮流を叩く記事を載せると思われるが、当初は様子見で「安倍擁護」のトーンは抑えようとするはずだ。その後の展開は読者の反応次第、ということになるだろう。


 こうした状況を見て改めて感じるのは、メディアも結局は、客商売だということだ。ここしばらく、自民党の一部にメディアへの圧力や介入を目指す動きが目についていたが、ある意味でそれは“時代遅れの感覚”だということだ。一握りのメディアが世論を動かしているわけではない。現実はメディアが世論を追いかけているのだ。ネット時代になり、その傾向は一段と強まっている。


 そのことをまだ、学べていないなら、この政権はいよいよ危うい。 


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三山喬(みやまたかし)  1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。1998年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。2007年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町:フクシマ曝心地の「心の声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。