薬用植物園の見学会は、厳冬期を除けばいつでも開催出来るが、京都であればゴールデンウィークの直後あたり、つまり春遅めの時期がベストシーズンである。なぜなら、この時期に開花期を迎える薬用植物がおそらく一番多いからである。気候も暑くなく寒くなく、見学会には付きものの蚊や蜂等の虫たちもまだ少なくて、快適に歩ける時である。他方、夏季の見学は、植物はどれも元気で気兼ねなくちぎってにおいや味を確かめられるが、日陰が少ない薬用植物園では熱中症の心配をしないといけないし、木が大きく育った園では大型のスズメバチが飛来することもしばしばあって、良いことばかりではない。
そして秋季の見学会。花は少なく、年によっては落葉樹の紅葉を楽しみつつ、あるいは葉を落とし始めてやや見通しの良くなった園で、もっぱら果実中心の見学となる。運が良ければキクの仲間やシソの類の花が咲いているかもしれない。
朝晩肌寒いくらいの時期になると、地上部が枯れてみすぼらしくなる植物が多くなる。しかしそれくらいの時期のカレンダーには連休が並んでいて、見学会などのイベントは開催適期であったりするのである。解説しながら案内する身としては、地上部が枯れた薬用植物は見学者にちぎってにおいや味を確かめてもらうわけにもいかず、この時期はいわゆる重要生薬と言われるいくつもの生薬の説明が困難極まりない時期である。
そんな時に地味ぃに花を咲かせ、それなりに新鮮な葉をつけているのがヒキオコシである。同じシソ科植物でも、1年生草本のシソなどはとっくに開花結実を終了して枯れているし、多年生のコガネバナも地上部は同じ状況である。しかし、ヒキオコシだけはよく見れば小さな花が咲いているのである。
ヒキオコシという名前は、行き倒れている人を引き起こす効果があるから付けられたものだそうで、昔々に弘法大師が庶民に使い方を教えてくれた薬草なのだそうである。日本原産の植物で薬用にされてきたものは、ルーツが古代中国にある漢方医学ではあまり使われることがなくて、例えばゲンノショウコやドクダミなど単味で煎じて服用する場合が多いが、ヒキオコシもこちらのケースに当てはまる。
ヒキオコシは地上部を薬用にし、生薬名は延命草(エンメイソウ)という。命を延ばす草という名前にあやかって、筆者が管理する園では見学者には新鮮葉をその場でちぎって味見をしてもらうのだが、その「命を延ばす」味はひどく苦い上に後に苦味が口の中に長く残る。学生たちにとっては記憶に残る薬用植物ナンバーワンである。
苦味の正体はエンメインなどのジテルペン配糖体と総称される化合物群で、苦味健胃作用がある。つまりこの苦味のある化合物が、生薬の活性に寄与している成分のひとつである可能性が高いわけだが、エンメイソウは苦味成分の安定性に問題があることが昔から指摘されており、品質管理が難しい生薬のひとつとされている。日本薬局方にもかつて収載されたことがあるものの、この成分の不安定さが問題とされて削除されたらしく、今では日本薬局方外生薬規格(局外生規)に収載されている。
生薬は多成分系なので、その品質評価は化学的に純粋な合成品の医薬品と同様にはなし得ない。多数ある成分の中から品質評価の指標となる成分が明らかになれば(同じ成分が有効成分のひとつである場合が多い)、その成分の含量等を測定することで品質管理を行うことが多いが、局外生規のエンメイソウの記載に残念ながらその指標成分は定められていない。
ヒキオコシ(延命草)は日本在来の薬用植物で、今でも山歩きに行けば野生品を見つけられる植物である、という面では身近なものである。しかし、使用量のほぼ100%を輸入して使っているマオウ(麻黄)やカンゾウ(甘草)が多方面からよく研究されているのに比べて、ヒキオコシについては研究例はかなり少ない。使用量が少なく、際立った特徴もない生薬については、使用実態があってもなかなか研究は進まない、それが生薬という医薬品の実情のようである。
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伊藤美千穂(いとうみちほ) 1969年大阪生まれ。京都大学大学院薬学研究科准教授。専門は生薬学・薬用植物学。18歳で京都大学に入学して以来、1年弱の米国留学期間を除けばずっと京都大学にいるが、研究手法のひとつにフィールドワークをとりいれており、途上国から先進国まで海外経験は豊富。大学での教育・研究の傍ら厚生労働省、内閣府やPMDAの各種委員、日本学術会議連携会員としての活動、WHOやISOの国際会議出席なども多い。