先週月曜日、11月19日に日産のカルロス・ゴーン前会長が逮捕され、今週の各誌は一斉にこの問題を取り上げたが、内容は文春の圧倒的勝利だった。それ以外の雑誌に見るべき記事はなく、雑誌ジャーナリズムでの“一強多弱ぶり”が改めて印象づけられた。


『日産「極秘チーム」ゴーン追放「一年戦記」』。そう銘打った文春のトップ記事は、日産の幹部有志がゴーンの不正を調べ上げ、東京地検特捜部への“告発”に至るまでの経緯を克明に再現したものだ。記事を見る限り、取材チームは極秘の内部事情を知る何人もの日産幹部から証言を取り、関係者個々人の動きまで詳細に報じている。


 それによれば、日産社内では遅くとも昨年12月には《ゴーン氏の私物化に耐えられなくなった面々は、それぞれが密かにゴーン氏の不正に関する情報収集》をする動きを見せていた。そのひとりがマレー系イギリス人役員のハリ・ナダ氏。ゴーン氏側近のグレッグ・ケリー氏から「CEOオフィス」担当を引き継いで、社費流用の酷さを知り、川口均という別の役員にこれを報告した。また、監査役の今津英敏氏もゴーン氏が個人で使用する高級住宅の取得に関わったオランダの子会社について独自に調べていた。秘書室で不正に直接関わった職員は、ハリ・ナダ氏の説得を受け、彼らの調査に協力するようになった。


 やがて、極秘の“チーム”にまとまった幹部有志の相談に乗ったのが、加計学園問題の証人喚問で、佐川宣寿・前国税庁長官の補佐人を務めた“ヤメ検”の熊田彰英弁護士。ハリ・ナダ氏や秘書室職員の不正関与について司法取引制度を利用するアイデアは、熊田弁護士の発案だったらしい。


 さまざまな証拠が出揃った8月頃、極秘チームの調査結果は西川廣人社長にもたらされた。ゴーン氏のバックアップで社長になった西川氏ではあったが、証拠の数々に深刻さを受け止め、ゴーン氏の追放を決断した──。


 このようにドキュメントタッチで舞台裏を報じた文春に比べると、新潮の8ページ特集は、『新聞・テレビでは分からない「カルロス・ゴーン」20の疑問』と、タイトルだけはものものしく付けられたが、新味のある情報はほとんどない。漏れ伝わるさまざまな断片情報で、ゴーン氏の“悪辣ぶり”をこれでもか、と強調する記事である。


 悪玉を設定して集中攻撃するバッシング報道は、週刊誌一般のお決まりのパターンだが、徹底して生データを発掘した今回の文春記事と比べると、声が大きいだけの糾弾報道は、いかにも安っぽい。週刊ポストもタイトルは『日産経営陣は「独裁者ゴーン」とこう戦った』と、文春と似たトーンだが、内容は雲泥の差。内部事情にはまったくと言っていいほどに踏み込めていない。他の週刊誌の報道は、さらにおざなりだ。


 突然、降ってわいたような大ニュースに、よーいどん、で取り掛かる報道は、媒体の取材力の差が如実に表れる。そもそもチーム取材で関係者を総当たりするような態勢は今回、文春しか組もうとしなかった、いや、組めなかったに違いない。ギリギリの少人数で回す編集部にその力がないのなら、専門的なフリーをひとり抱え込み、2~3人のサポート役をつけ“取材班”とする手もあるが、最近の編集長たちは、それすらも予算的にためらいを覚えるのだろうか。文春の調査報道はもちろん称えられるべきだが、それ以上に他の雑誌の“足腰の弱体化”をここまで見せられてしまうと、業界の先行きに暗澹たる思いがする。 


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 三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。