11月19日に日産自動車の会長兼CEO(最高経営責任者)のカルロス・ゴ―ン氏が逮捕されて以来、連日、ゴ―ン氏と日産がどうなるかという報道が溢れている。なにしろ、「ゴ―ンは日産を再建したカリスマ経営者の逮捕だから」というわけだ。


 だが、ゴ―ン氏って本当にカリスマなのか。日産には「中興の祖」と言われた川又克二氏(故人)がいた。終戦後の日産大争議の折、メーンバンクの旧日本興業銀行(現みずほ銀行)から再建を託されて派遣された人物である。本人は「あんな倒産しそうな会社には行きたくない」と言っていたそうだが、日産大争議を終息させ、興銀から金杯を贈られている。興銀の金杯は同行に多大の貢献をしたOBに贈られるもので、過去、そごう元会長(故人)の水島広雄氏とともに2人しかいない。


 だが、川又氏もゴ―ン氏と同様のワンマンで、労働組合(日産の労働組合は自動車労連と呼ぶ)の塩路一郎委員長と結託。プリンス自動車との合併では、塩路氏がプリンス自動車に潜入し、合併反対だった同社の労組を懐柔、合併を促進させた、といった役割も担った。その代わり、塩路氏が経営に嘴を入れ、それを川又会長が認める、という癒着が生まれた。


 実際、川又会長を後ろ盾にした塩路氏はヨットを所有し、休日には海に出て遊ぶという労働貴族ぶりだった。加えて日産は天皇陛下が乗る御料車「ロイヤル」を3台生産したが、陛下以外の2台は川又会長と塩路氏が乗る車で、社長でさえ乗れないのにと顰蹙を買った。しかも、川又会長後、石原俊社長は仕事の6割を“塩路対策”に費やしたと嘆いたほど弊害も多かった。


 だが、世間からは日産ほどいい会社はないという声が多かった。昭和50年代後半に、サラリーマン経営者や経営評論家に「自分の息子を就職させるとしたら、どこの会社が一番いいか」という記事を書いたことがある。その匿名アンケートで息子を入れさせたい会社のトップは、興銀と日産自動車だった。理由は「興銀では天下国家を論じていればよかったから」という皮肉っぽいもので、一方の日産は「社員を分け隔てなく大事にする会社だから」というものだった。


 ちなみに「自分の息子を入れたくない会社」のナンバーワンはトヨタ自動車だった。理由は「トヨタでは会社宛に届いた封筒を丁寧にはがして裏返しして再利用している。あんなにケチに徹している会社では我が甘やかされた息子は耐えられないだろう」というのである。


 実際、日産は鷹揚で、持ち込まれた事業や社員が提案した事業を相当数手掛けていた。ゴ―ン氏が処分したが、ロケットでさえ荻窪工場でつくっていたほどである。そのなかにはこんな話もある。


 昭和30年代後半か40年代初めだったと思うが、ドイツの総合部品メーカー「ボッシュ」がABS(アンチロック・ブレーキング・システム)を開発し、日本の自動車メーカーに売り込みに来た。ABSはブレーキを踏んでもハンドルを動かせる装置で、今日では世界中の車が装着している当たり前のシステムである。だが、当時の日本の自動車メーカーは意味がよくわからず、トヨタもホンダも買わなかった。ボッシュは日産にも売り込み来た。そのとき、日産のトップは「ABSってなんだかわからんが、遠いドイツから来たんだから買っておけ」と子会社に買わせたのだ。その後、ABSの重要性がわかったとき、自動車各社がどこで買えばいいか、と見回したら日産が持っていることがわかり、日産は大儲けしたという。経営者や経営評論家が自分のバカ息子を入社させたいと思う会社のトップに挙げたのも道理なのである。


 といって、いい加減な会社ではない。むしろ、技術力はピカ一だし、いい車を生み出してきた。アメリカに進出したのも最初である。今でこそ、トヨタは技術も販売も日本のトップだが、かつては違った。トヨタはディーラーの販売力とアフターケアの面倒見のよさで売ると言われ、日本の新車販売台数の4割を占め、最大の自動車メーカーになったときでさえ、トヨタのセールスマンは顧客に「トヨタの車に日産のエンジンを載せたら倍の台数を売って見せます」と平気で言うほどだった。


 だが、日産は経営が悪かった。デザイナーが格好のいいデザインをして新車をつくると、役員がそれぞれバックミラーの形が悪いとかトランクの形が好みではない、などさまざまな注文を付け、結果、ヘンな車になってしまった、という話さえあった。そして不況で経営状態が傾くと、再建計画を立てリストラと事業整理を行うと宣言するのだが、そのうち、再建計画をやめてしまうのだ。


 バブル時代には「シーマ現象」現象と言われたようにシーマが飛ぶように売れると、再建計画は自然消滅。CMに起用したプロ野球選手のイチローが人気になると、車を購入する親は子供に連れられて日産のショールームを訪れ、日産車が売れ出すと、またまた再建計画はどこかに行ってしまう。こういう会社だった。一度として再建計画を最後までやったことがなかったと言われた会社なのである。


 バブル崩壊後、倒産の危機に見舞われた日産の買収に最初に名前が挙がったのがドイツのダイムラーだったが、買収には4000億円必要ということに嫌気して撤退。代わってルノーが名乗りを上げ、出資して子会社化した。ルノーからゴ―ン氏が乗り込んでくるとき、自動車評論家やライバルメーカーは「きちんとリストラさえすれば、日産は立ち直る」と言っていたのである。ただ、大家族主義という恩情が邪魔をしてリストラできない経営者ばかりだったのだ。


 だが、ゴ―ン氏にはしがらみもなければ、恩情を大事にする必要もない。不要不急の事業を売却し、系列企業、下請けを切り、リストラをしただけなのである。むしろ、切られた系列企業、下請け企業が倒産の危機に陥り、取引銀行が救済に四苦八苦した。これだけで日産は立ち直ったといえる。どう見てもゴ―ン氏を「カリスマ経営者」とは言えない。ただのコストカッターに過ぎない。


 GT-Rが素晴らしい車だといっても、もともと日産にはそれを生み出すだけの技術を持っていた。電気自動車についても昭和50年代に国内で電気自動車の開発ブームが起こり、各社が鎬を削った。が、電気代が高いこと、バッテリーが大きく容量も小さいこと、モーターも大きく、当時は自動車に向かないことなどから、開発ブームは消滅した。が、このとき、東京電力が電気自動車を開発した。同社はひとつのモーターではなく、四輪それぞれにモーターを付けるという奇抜な発想で、スタート時の出力を大きくする画期的な方法だった。開発騒ぎが収まると、この東電の技術は日産に譲渡されたが、日産は電気自動車を試作してみせた。今、電気自動車ブームで日産がナンバーワンなのも過去に積み重ねた経験があるからだ。


 かくのごとくゴ―ン氏でなくても、日産はリストラ、構造改革といった経営改善計画を実行しさえすれば、業績は回復する会社である。カリスマ経営者とはテレビがつくった肩書にすぎない。


 今回の事件で「ニューヨーク、ブラジル、レバノン、オランダに自宅を持ち」と報道されている、ブラジル、レバノンはゴーン氏が国籍を持つ国である。ニューヨークは娘さんが通う大学があり、大学進学後、1年の半分をニューヨークで娘と暮らしていると言われていた場所だ。オランダは日本と租税条約を結んでいて送金した金に日本の税務署は課税できない国である。破綻した日本長期信用銀行を買い取った投資ファンドのリップルウッドが再建後、代表のフラワーズ氏が株式売却益をオランダに送金し、国税庁が手を出せなかったこともある。ゴーン氏は大金を自分の懐に入れたが、報道を見ると「世界に名高いレバノン商人だったのか」とも思える。


 もうひとつおかしなことがある。大阪万博の決定を後押しするために訪仏した世耕経済産業相がフランスのルメール経済相と会談し、「ルノー、日産、三菱自動車の3社連合を維持することが大事だ」と一致したと語っている。一国の政府が民間企業の経営に嘴を入れるべきではない。企業が倒産の危機に見舞われ、子会社、下請けなどを含めて多くの失業者が出る可能性が予想されるという社会的問題がある場合ならともかく、業績に問題がない日産の経営問題に政府が口先介入するのは間違いだ。民主主義に、資本主義に反する。


 世耕経産相は帰国後、「協力関係を維持してゆくという日産とルノーの意思に対してサポートするということで、日産のガバナンスに関して約束したことはない」と主張を修正しているが、パリで「3社の提携維持」を言ったことで、フランスの経済相は「現状の提携維持」「日産のトップはルノーから出すべきだ」などと主張されてしまった。さらにマクロン大統領から「G20で安倍首相と会談する」と言われる始末である。世耕経産相がルメール経済相と会談した折に、「民主主義国家では政府が民間企業の経営に嘴を入れるべきではない」と主張すれば、ルメール経済相も闇雲に日産の経営に干渉できなくなる。それが政治家の役割のはずである。日本は資本主義国家であることを忘れてしまったのか。政治記者が問題視しなかったのはどうしたことか。


 帰国後に修正しても会談で言わなかったのだから向こうは日本政府も同意したと受け取る。フランス政府はルノーの大株主で、資本家であるが、経営者ではない。経営陣から相談を受けても、CEOを決めるのは経営陣である。国家が民間企業の経営に介入するのは中国と北朝鮮だけで十分だ。(常)