「社会の課題は“公”がすべて担うのではなく、意欲ある個人が担い手になるということ」――。「改めて『地域共生社会』を考える」をテーマに12月14日に東京国際フォーラムで開かれたシンポジウムで、厚生労働省健康局健康課課長補佐の藤岡雅美氏が訴えた。現代社会の抱えるさまざまな課題を行政に責任転嫁する風潮に疑問を呈し、「官対民」という二項対立の考え方では「共生社会」は難しいと主張した。
このシンポジウム「改めて『地域共生社会』を考える」は、首都圏で最大規模の在宅医療ネットワークを持つ医療法人社団悠翔会主(佐々木淳理事長)が、2015年から月に1度、医療介護分野で多職種連携できる人材の育成を目的に開いている「在宅医療カレッジ」の特別企画として行われたもの。日本の社会課題は山積する一方、「ヒト・モノ・カネ」などの資源が不足するなかで、国の言う「地域共生社会」をどう考えるか議論するために有識者らが集まった。
藤岡氏は、「今日は厚労省ではなく個人の見解として話す」と前置きしたうえで、「『公のものは官が担うもの』という変な思い込みがある。『厚労省、自治体がサボっていたから俺たちの生活がおかしいんだ』と、そういう側面も必ずある一方で、本当にそれだけなのか?」と疑問を投げかけた。
例として、財源不足と人口減少で悩む長野県下条村が、道路の補修工事を住民の協力を得て達成した事例をあげ、「(一般の自治体の場合は)めちゃくちゃ批判を受けるはずだが、行政は『資材は買います。道路をつくるのは住民の皆さんでやってください』と言って、道路ができた。それで財源が捻出できて子育てに投資でき、出生率も上がって、共同作業によるコミュニティもできた。すごいのは、下条村が『できません』と言ったことであって、それを受け入れた住民にある」と指摘。そのうえで、「官対民、という変な批判合戦をしている限り共生社会はない。そこをどう歩み寄ってお互いできるのかだ」と語った。
◆「健康が何より尊い」は本当か
医療や介護については、「健康原理主義から脱却する、ということを伝えたい」と主張。諸外国の「幸福度」のグラフを示し、「経産省も自己否定をしていて」と言いながら、「幸福度の高い国ほど『1人当たりGDP』以外の要素の割合が高い」と述べた。幸福度の要素としては「健康寿命」「つながり」などがあるが、藤岡氏は「衝撃なのは『その他』が一番多いこと。いったい人の幸せって何だろう、というのが結論かもしれませんが」としつつ、そのうえで「健康が何より重要で尊い、と医療職だと思いがちだが、『本当にそうなんですか?』と疑ってかからないと、今後変な形になっていくんじゃないかと。共生社会も健康という文脈、医療・介護の文脈だけで語るのでは、すごく杓子定規になるんじゃないかというのが、私の今の考え」と解説した。
藤岡氏のスライドより
加えて、藤岡氏は、経済学の「現在割引価値」の概念を引き合いに、人間は心理的に「『将来の健康』や『将来の自分のために』と言われても『将来』と言われた瞬間、その価値が薄れる。そうではなく、今の欲求とどう向き合うかというところで健康や介護医療を語れないか。例えば『営業成績を上げたい』『モテたい』、そういう話をどう入れ込んでいくかが重要」と訴えた。「『共生社会でみんな幸せになりましょう』、『こういう行動をとりましょう』ではなく、そういう行動がとれるような街づくりや施設設計ができるんじゃないか」とも述べ、選択肢をうまく設計したり配置することで適切な選択を取らせる考え方を示した。
一方、現在の行政の手法について「審議会とかで『こういう人が困っているのだろう』と勝手に困っている人を想像して枠にはめて、『その人たちを助けましょう』と。これだけ多様な世界なのに、勝手に型にはめてモデルをつくっちゃうというのはやめたほうがいい」と批判した。
◆個人中心社会への不安をなくすには
藤岡氏は、日本人の考え方や価値観が転機に来ていると言う。高度経済成長期に代表されるような組織中心型の社会では「権威が規律し、ルールをつくってくれる。国民は“お上”がすべて決めてくれるんだろうという世界観」だったが、今は都市化やグローバル化、技術革新が進み「個人中心社会になっている。個人中心の個人の決断やリスクテイクに依存するところが大きい」と説明。
その代表例が、不特定多数によって価値が決まるビットコインであり、「『価値や意思決定が相互作用で決定されていくことが不安なんです』『自由過ぎて行く先がわからないので誰が自分の人生決めてくれよ』と。そういうところで権威への回避に戻っているんじゃないか。でも本当にそれでいいのか、というのが問題意識にある。個人が安心して思い切った選択をできる、『秩序ある自由』をどうつくっていくかが非常に重要」と語った。(梨)