週刊新潮の特徴は、比類のないゲスな編集方針だ。同じ保守系スキャンダル雑誌でも、週刊文春の書き方には新潮ほどのどす黒い悪意は感じられない。1956年の創刊時から徹底した冷笑主義のカラーをつくり上げ、「天皇」と呼ばれた名物編集者・斎藤十一氏は、ウィキペディアによれば「うちの基本姿勢は俗物主義」「どのように聖人ぶっていても、一枚めくれば金、女。それが人間」「だから、そういう人間を扱った週刊誌を作ろう、ただそれだけ」と生前、語っていたという。


 下世話なスキャンダリズム、暴露趣味という点ではその昔、左派系の「噂の真相」をはじめ出版社系の雑誌は概ね同じスタンスで、新聞やテレビ、新聞社系週刊誌など“お上品なメディア”とは一線を画して“ゲリラ・ジャーナリズム”と名乗っていた。下世話なのぞき見趣味を原動力とすることに、それがどうした、何が悪い、と開き直るメディアだった。


 だが、新聞やテレビにある程度権威があった時代はそれでもよかったが、ネット媒体がここまで強くなると、それもいかがなものか、と感じてくる。“どす黒い悪意”はもはやネットの世界では多数派に思えるほど猛威を振るっている。とにかく“本音”がもてはやされ、それをたしなめる意見は「きれいごと」と鼻にもかけられない。


 ある程度の“建て前”は世の中に必要だし、寅さんではないけれども「それを言っちゃあおしまいよ」という一線は守るべきだろう。斎藤十一氏的な“どす黒さ”はクラスに1人くらい“ひねくれ者”として存在する分には構わないが、このタイプが過半数になってしまったら、それこそ地獄である。新潮のスタンスも、そろそろ考え時だろう。


 今週の新潮のワイド特集『平成の「金と女と事件」』を眺めていて、改めてそう感じた。たとえば『「東電OL殺害」で無罪 「ゴビンダ」への補償はネパール年収1000年分』という記事。冤罪によって無期懲役の判決を受け、15年間の獄中暮らしの末、再審無罪を勝ち取ったゴビンダ氏。その補償額6800万円を母国ネパールの貧しさと対比させ、このいやらしい記事は作られている。補償額が高すぎる、とは決して言わないが、読者をひたすらその方向に誘導する。彼が絶望の中で送った獄中生活など、まるで考えない。


 あるいは『「イラク人質」共産党が育てたという「劣化ウラン弾高校生」の今』。04年イラクでの人質事件の際、高校生でありながら劣化ウラン弾問題のNPO代表として人質となり、「自己責任論バッシング」で吊るし上げられて精神を病んでしまった若者を、こんな見出しの記事で再びいたぶっている。父親が日教組に所属する教師、看護師の母親が共産党系の病院勤務だった、というだけで本人も家族も共産党との関わりはなかった。そのことは母親の言葉として記事本文でも触れている。


 にもかかわらずタイトルでは、事実無根とわかっている「共産党が育てた」というフレーズを伝聞の形にしてわざわざ使うのだ。自己責任論者や共産党嫌いの読者には、このタイトルに引っ掛かり、再びバッシングを試みる輩も出てくるだろう。編集部はそれを見て「してやったり」とほくそ笑むのだろうか。吐き気を催すどす黒さだ。


 同じ号には『読売新聞値上げの特別付録に元旦大スクープ説 他紙は戦々恐々』という記事もある。本当の話なら楽しみだが、たとえば新元号スクープのような、政権から押し頂く“おこぼれリーク”なら興醒めする。前川・元文科次官への謀略中傷記事で地に落ちた名誉を少しでも挽回する“真っ当な特ダネ”を期待したい。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。